自由民主党

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活動報告 令和7(2025)年11月

活動報告動画はこちら 連続ミニ集会の模様はこちら

  • 11月30日
    日帰りで篭ノ登山(篭ノ塔山)山行を実行。日本山岳会信濃支部の楽しい登山行事。晴天の360度の展望は絶景。私のこれからの活動、限られた時間の活用の仕方についても啓示を得た思い。
    写真:篭ノ登山山行 写真:篭ノ登山山行
    写真:篭ノ登山山行 写真:篭ノ登山からの眺望
    写真:篭ノ登山からの眺望 写真:篭ノ登山からの眺望
    写真:篭ノ登山からの眺望 
  • 11月29日
    早朝、スーと落ち葉公園を散歩。安曇野市長の太田寛さんが急逝された翌日、穂高の施設を訪問し、太田氏の亡骸に接する。冷たくなった額に手を当てた際に思わず目が潤む。メディア各紙は訃報を大きく報道。松本市内で開催の防災フォーラムに顔を出す。シバウラ防災製作所が開発した自然水利を上質な飲料水に浄化する装置を拝見。災害時にはもとより過疎地の水道代替機能も果たす装置。ウクライナ復興支援に役立てる構想もあり。夕方、家族の誕生日祝いを行う。
    写真:スーの朝散歩 写真:スーの朝散歩
    写真:安曇野市長の訃報を伝える記事 写真:自然水利を飲料化する簡易装置
  • 11月28日
    早朝、高校同級生から電話があり、同期の安曇野市長太田寛氏が急逝の報を受ける。まさかとは思ったものの情報は事実で、大変なショック。午前中、各方面からの情報が乱れ飛ぶ。半世紀以上の付き合いのあった太田氏とは6日前に高校卒業50周年を共に祝ったばかり。田中康夫氏も同期。同窓会長でもあった太田寛氏は、記念式典で、「奇人変人の多いと言われた期」、と笑いを取っていた。太田氏は、私が議席を失うこととなった昨年の衆議院選挙の応援も頂いた。心が乱れる中、昼には松本南ロータリークラブの関係者と、地域防災力向上の現状把握の手法について打ち合わせ。来年度に催行予定の防災フォーラムの準備。午後、松本市内の精密機器メーカーを訪問し、同社が開発した雷探知機の普及策について意見交換。夕方、安曇野市役所に向かい、葬儀などの今後の手続きなどについて聞こうとしたが、まさにその会議中で幹部に面会できず。夜、太田氏の後援会幹部から当該情報が寄せられる。精神的に疲労困憊の一日。
    写真:卒業50周年時の太田氏 写真:選挙応援を頂いた時の太田氏
    写真:ロータリー関係者と防災談議 写真:雷探知機普及策を議論
  • 11月27日
    早朝、スーの散歩。この日は一日中、自宅で研究会の段取り調整、資料作成に時間を割く。私が理事を務めている戦時下のウクライナと北朝鮮を抱える韓国の最近のシェルター事情のレポートにも目を通す。
  • 11月26日
    早朝、スーの散歩。午前中、生坂村で第8回生坂村ゼロカーボン推進プロジェクト会議に出席。生坂村の地域エネルギー会社「いくさかてらす」にエネ庁から特定送配電事業者の許可がおりたとの報告。脱炭素先行地域指定を受けて以降、一歩一歩脱炭素事業が前進。午後、地元マスコミから松本市における新たな公共交通の在り方について取材を受ける。夕方、自家用車のタイヤ交換。この日、ホームページにイスラエルのシュエルター事情調査報告をアップ。
    写真:朝日を浴びるスー 写真:生坂村の脱炭素会議に参加
    写真:「いくさかてらす」の黒板 
  • 11月25日
    午前中、お茶の水の会議室をお借りし、日本核シェルター協会主催の法整備の勉強会でプレゼン。私からは、シェルター整備基本法制定×国民保護法改正×災害対策基本法改正を軸に改正の方向性を発表。シェルター整備に関する要素技術を有する会員の皆様から様々な指摘を受ける。リモート参加の奈良林直先生からは、シェルター整備の基準が無いために先島諸島のシェルター整備に問題が生じているとの情報が寄せられる。私からはイスラエル訪問の報告も行う。12月5日には自民党シェルター議員連盟でも発表予定。午後、日本橋に所在の防災系企業に、セキュアなAIソリューションの選択肢を紹介。その後、同企業のスタッフにイスラエル訪問の報告を行い、イスラエルには様々な安全確保のアイデアがある旨伝える。私が代表写真を務める合同会社防災制度運用研究会の活動の一環。徐々に活動が軌道に乗りつつある実感。夕方、地元に戻る。
    写真:シェルター法整備勉強会にて 写真:シェルター法整備勉強会にて
    写真:シェルター法整備勉強会にて 写真:防災系企業にAI活用をレク
  • 11月24日
    早朝、スーの散歩。このところのハードスケジュールが一服し、今日は一日中、愛犬と過ごす。それでも夕方、明日の東京日程をこなすために上京。
    写真:スーと東の山を眺望 写真:午前中の東山
    写真:スーのキリッとした姿勢 
  • 11月23日
    早朝、スーの散歩。落ち葉を楽しむスー。安曇野市→大町市→小川村→長野市鬼無里→長野市戸隠と経由し、北アルプス、戸隠連峰の絶景を楽しみながら、戸隠神社奥社で催行の新嘗祭に参加。驚く程の人数の参拝者が列をなす。中社の大西旅館で直会。大杉明彦宮司と戸隠神社の保全と活用についてじっくり話し込む。夕方、安曇野市内で遺品整理、事件現場特殊清掃を手掛ける青年実業家と意見交換。
    写真:落ち葉を踏むスー 写真:小川村から見た北アルプス
    写真:鬼無里から見た戸隠連峰 写真:奥社に繋がる随神門にて
    写真:賑わう奥社参道 写真:戸隠神社奥社と戸隠連峰
    写真:戸隠神社大杉宮司と 
  • 11月22日
    早朝、新宿から松本に戻り、昼前に大事なスーの散歩。午後は、母校の松本深志高校卒業50周年の記念式典、懇親会に参加。奇人変人が多い(私は例外)と言われた同期101名が松本に参集。記念式典では鬼籍に入った恩師の写真を動画化するAI技術も披露。96歳の恩師も激励ビデオ登場。懇親会では、半世紀前の写真に昔の自分を見つけようと皆が群がる。当時流行の歌がBGMで流れる。一世を風靡した田中康夫氏も童心に戻って参加。その後、安曇野市に向かい、3ヶ月ぶりに再開した安曇野市豊科の居酒屋「折鶴」で病気回復の92歳の吉田ママさんの回復を祝う。
    写真:日光浴するスー 写真:母校卒業50周年の式典にて
    写真:高校同期の懇親会 写真:田中康夫氏と
    写真:昔の自分を探す同期生 写真:折鶴のママさんと
  • 11月21日
    早朝、明治神宮を歩く。手のひらに飛来したヤマガラ君に挨拶。堀井巌外務副大臣を訪問し、消防防災の分野の国際貢献について意見交換。私の構想も伝える。来年の第10回の山の日記念式典が岐阜県で開催されるに当たり、岐阜県庁でご担当の環境エネルギー生活部の平野昌彦部長、松波裕之課長補佐、今井洋介主任が全国山の日協議会事務局を訪問。打ち合わせを行う。日本消防会館にある海外消防情報センター所長の山内健生所長を訪問し、アセアンの自主防災組織について情報共有。カンボジアの日本式消防団の設立もフォローしたレポートを発表。夕方、災害救援ボランティア推進委員会設立30周年記念講演会で、首都直下地震に関する平田直東大名誉教授の話を聞く。教授は地震予知の専門家。「地震予知はできない」との話があり、私からはイスラエルのベンチャーの地震予知技術について紹介。懇親会で徳川、原田氏など旧知の皆様に挨拶。私が客員教委寿を務める東京医療保健大学の関係者と来年度のシラバスについて調整。
    写真:堀井巌外務副大臣を訪問 写真:岐阜県の山の日式典担当者と
    写真:海外消防情報センター所長と 写真:首都直下地震について学習
    写真:防災勉強会懇親会にて 写真:東京医療保健大学の関係者と
  • 11月20日
    早朝、明治神宮を歩く。LPGバルクを非常時の電源として活用する件についてリモートで地元のガス事業者にレク。昼前に河野太郎代議士を訪問し、政府が新たに導入を検討している規制の問題点について説明。昼に愛知県の再エネ事業者と意見交換の後、全国市議会議長会、全国町村議会議長会を訪問し、議会棟の有効活用の方策について提案。ところで、稲村公望氏のSNS発言が目に留まる。同氏が在タイ日本大使館一等書記官以来、半世紀近くお世話になっている方。国士である稲村氏による、中国の威嚇常套手段が実は世界中で破綻している実例列挙は我が国の取るべき立場を考える上で心強い。私自身がAIに聞いた以下の反応も同趣旨。世界中から相手にされない対応を取る中国共産党、哀れ。

    「中国外交における「無礼行為」の典型例は、外交官が会談後に両手をポケットに入れたまま日本側を見送る態度や、総領事による「首を斬る」といった過激なSNS投稿です。日本側の最適な対応は、冷静かつ毅然と抗議し、国際社会のルールに基づく礼儀外交を維持すること。

    中国外交に見られる無礼行為の例
    SNSでの過激発言
    中国・薛剣駐大阪総領事が「汚い首は一瞬の躊躇もなく斬ってやるしかない」と投稿し、外交官として極めて不適切と批判された。
    会談後の態度演出
    中国外務省の劉勁松局長が、両手をポケットに入れたまま日本側を見送る映像を国営メディアで放映。国内向けに「強硬姿勢」を演出する典型的な戦狼外交の一環とされた。
    渡航注意の発表
    中国政府が「日本の治安が不安定」と主張し、自国民に渡航控えを呼びかけたが、日本側は「治安は悪化していない」と反論した。

    日本側が取るべき最適な外交対応
    1.毅然とした抗議と事実の提示
    不適切発言や態度には即座に抗議し、外交儀礼違反を明確に指摘する。
    治安や政策に関する誤情報には、客観的データを提示して反論する。
    2.冷静さを保ち、報復的行動は避ける
    同じ無礼で応じると「非対称ゲーム」に巻き込まれ、国際的評価を損なう。
    日本は成熟した民主主義国家として、礼儀と法に基づく対応を貫く。
    3.国際社会との連携強化
    無礼外交を国際社会に共有し、透明性を高めることで中国の行動を孤立化させる。
    ASEAN諸国や欧米と協調し、国際秩序維持の立場を強調する。
    4.邦人保護の徹底
    渡航注意や在留邦人への影響がある場合は、外務省が安全確保を最優先に行動する。結論中国の「戦狼外交」に見られる無礼行為は、国内向けの政治的演出である場合が多い。日本側は「冷静・毅然・国際協調」を軸に対応し、外交儀礼を守りつつ国際社会に信頼される姿勢を示すことが最適。」
    写真:河野太郎代議士を訪問 写真:河野太郎代議士に相談
    写真:再エネ事業者と意見交換 写真:全国市議会議長会にて
    写真:全国町村議会議長会にて 
  • 11月19日
    早朝、明治神宮を歩く。午前中、登山環境整備基本法案に盛り込むべき事項について、山岳関係者でルモート議論。議員立法に繋げる作業。その後、衆議院議員会館でカンナジビオール活用議員連盟が開催され、厚労省が検討しているCBN規制に関するエビデンスについて議論が行われる。その場の議論は、全面禁止ではなく、濃度、量的規制に止めるべきとの意見が私も含め大勢。意見を求められた陪席の佐藤均静岡県立大学客員教授からは、専門家としての科学的見解(量的規制にすべき)が示される。佐藤教授のCBN販売をライセンス制にという案は私も同意見。パブコメが異例の期限延長に。午後、日本看護協会中野友香里専務理事を訪問し、看護政策の課題を伺う。その後、NHKホールで開催された全国町村大会に出席の東筑の村長の皆様と原宿で合流し、暫しの懇談。夕方、都内の知人と、熊被害解消の出口対策について意見交換。
    写真:明治神宮の風情 写真:山岳関係者で登山関係立法を議論
    写真:日本看護協会を訪問 写真:日本看護協会を訪問
    写真:東筑摩郡の村長の皆様と合流 
  • 11月18日
    早朝、スーの散歩。自家用車で佐久市に向かい、同市で開催の日本山岳ガイド協会主催の第21回全国自然環境会議、自然公園指導員研修会で来賓挨拶。登山環境整備基本法(仮称)制定に向けての動きを紹介。環境省速水香奈国立公園課課長補佐が分かりやすい講演。武川俊二ガイド協会理事長をはじめとする協会関係者とも意見交換。夕方、長野県看護協会を訪問し、東京医療保健大学客員教授就任をお伝えし、看護の現場の課題を学生に伝え課題解決の処方箋を共に考えさせて頂ければ、と要望。薬剤師会も訪問。夜、妻と食事の後、上京。
    写真:スーの散歩 写真:佐久市の自然環境会議で挨拶
    写真:山岳ガイド協会の関係者と 写真:山岳ガイド協会の関係者と
    写真:山岳ガイド協会の関係者と 写真:長野県看護協会を訪問
  • 11月17日
    午前に成田到着。成田→新宿→松本の経路で一週間ぶりに地元に戻る。夕方、スーの散歩。日常のルーティーンの幸せを噛みしめる。今回のイスラエル訪問で、イスラエルとの距離感がぐっと近くなった思い。そのイスラエルで身になった点。市内の殆どがヘブライ語表記で、英語表記も最小限しか使われていない現状を目の当たりに。そこで、イスラエルで使われている現代ヘブライ語はどの様な言語かを調べたところ、イスラエルの建国と密接な関連のあることを知り、さもありなんと得心した次第。現代ヘブライ語は、19世紀末に復活し、1948年のイスラエル建国とともに公用語となった経緯があり、考案者として最も知られているのはエリエゼル・ベン・イェフダ(Eliezer Ben-Yehuda)。その鬼気迫る集中力が凝縮された写真を国立図書館で拝見。現代のヘブライ語は、古代ヘブライ語とは語彙・文法・発音などが大きく異なる由。古代ヘブライ語は紀元前10世紀頃から使われていが、紀元前3世紀以降、アラム語などに取って代わられ、日常語としては消滅。しかし19世紀末、ユダヤ人の民族運動「シオニズム」の高まりとともに、ヘブライ語を日常語として復活させる動きが始まり、1948年のイスラエル建国後、現代ヘブライ語は国家の公用語として正式に採用。ベン・イェフダはヘブライ語を「生きた言語」として復活させることを目指し、辞書の編纂、新語の創造、教育活動などに注力。自らの家庭でヘブライ語のみを使い、息子を「約2000年ぶりのヘブライ語母語話者」に育てたことでも知られる。古代ヘブライ語との違いとしては、日常会話・教育・行政に活用、簡略化され、現代的、科学・技術・生活語彙が豊富、現代風に変化、外来語の影響も。現代ヘブライ語は、死語となっていた言語が復活した世界でも稀な例。母国語を大事にするイスラエルは、市内でもヘブライ語表記を優先し、英語表記すら最小限。日本のように、地方のJR駅でも、日本語に加え、英語、中国語、韓国語まで並記し、どこの国か分からない言語の氾濫状態が起きている国とは違うという印象を受けた。国の成り立ちが母国語を大切にする政策に繋がるということも再認識。中国政府が、日本への渡航自粛を国民に指示する中で、日本が中国人観光客のおもてなしの意味で中国語を駅の表示で活用することを継続するかどうか、論点になっていくようにも思われる。
    写真:現代ヘブライ語の創始者イェフダ 
  • 11月16日
    早朝、テルアビブ空港を発ち、アテネで乗務員の乗り換え、チューリッヒでトランジット。地中海の朝焼け、エーゲ海の島々、欧州アルプスの冠雪も眺望。17日午前中に成田到着。出張中、中国共産党による日本威嚇に関するSNSでのやり取りに注目。中国の大国らしからぬ対応に日本国民はそれを嘲笑に替える対応。残念なのは、イスラエル出張中に松本市城山公園で開催の「わんわんパトロール」大集合に私は参加出来なかったこと。全体で45匹参加の中にスーも交じり、大興奮。
    写真:地中海の朝焼けに見送られる 写真:欧州アルプスの眺望
    写真:城山公園のワンワン大集合のスー 写真:城山公園のワンワン大集合のスー
  • 11月15日
    イスラエル滞在最後の日の土曜日。市内の鉄道でディアスポロ博物館に行こうとして大失敗。鉄道を含めた公共施設、民間施設も休業。「安息日」ということをしっかり意識せずに行動して大反省。以下、ユダヤ教の安息日について、自戒を込めて調べたところを記すこととしたい。旅行者としては、大いなる不便を感じた一日になってしまったものの、ユダヤ教にとっての安息日の位置づけの重さを体感した貴重な機会ともなった。何もすることがないので、辛うじて確保したタクシーに乗って早々に空港に向かう。
    「イスラエルの安息日(シャバット、Shabbat)は、ユダヤ教の伝統に基づき、金曜日の日没から土曜日の日没までの約24時間。これは天地創造の7日目に神が休息されたことに由来し、「労働」を一切行わず、家族と過ごし、魂を休ませる聖なる日とされている。主なルールと習慣は以下の通り。
    <安息日の基本的なルール(労働の禁止)>
    ユダヤ教では、安息日に禁じられている「労働」は、単なる肉体的な作業だけでなく、創造的な行為や日常の営み全般を指す。特に律法で定められた39の禁止行為があり、現代ではその解釈が適用されている。
    * 火や電気の使用の禁止:
    * 火をつけること(料理、喫煙など)が禁止されており、現代では電気製品の操作(スイッチのオン・オフ、運転、エレベーターのボタンを押す、電話やパソコン、カメラの使用など)もこれに準じて禁止。
    * このため、安息日前に料理の準備や電気のタイマー設定などが行われる。
    * ホテルなどでは、自動で各階に停止する「シャバット・エレベーター」が稼働している場合がある。
    * 運転・移動の禁止:
    * 車や公共交通機関の運転が禁止されるため、路線バス、鉄道などの公共交通機関は運行を停止(タクシーは一部例外)。
    * 売買・取引の禁止:
    * お店(スーパー、ショッピングモールなど)やオフィス、銀行、行政機関の大半が休業。
    * その他:
    * 文字を書くこと、金銭に触れること、物を運ぶこと(公共の場を除く)、選別(良いものと悪いもの)、刈り入れ(収穫)など、様々な日常的な行為が禁止。
    < 例外: 人命にかかわる場合(救急、消防、警察、軍事行動)は、これらの禁止事項は除外>

    <イスラエル社会への影響>
    人口の約75%がユダヤ教徒のイスラエルでは、安息日は個人の信仰を超えて国家的な制度として尊重されており、日常生活に大きな影響がある。
    * 公共交通機関の停止と商店の休業は、特に世俗的な人々にとっては不便をもたらす側面もある。
    * 安息日が終わる土曜日の日没後は、お店や交通機関が一斉に動き出し、街は賑わいを見せる。

    <安息日の過ごし方(推奨される習慣)>
    安息日は単に「禁止事項を守る日」ではなく、「休み、家族と神を喜び、魂を養う日」として大切にされる。
    * シャバットディナー:
    * 金曜日の日没直前にろうそくを灯して安息日を迎え、家族や親戚、友人が集まり、豪華な食事を囲む。食事の前にはワインとパンを使った祈り(キドゥーシュ)が捧げられる。
    * 料理は前日までに準備され、土曜日の食事も温めて食べられるように工夫される。
    * 休息と学び:
    * ゆっくりと昼寝をしたり、散歩に出かけたり、聖書や宗教書を読んだりして過ごす。
    * シナゴーグ(ユダヤ教の会堂)での礼拝に参加。
    * 人間関係の重視:
    * 電化製品や仕事から離れることで、家族や友人とのリアルなコミュニケーションや交流を大切にする時間となる。

    イスラエル国内でも、超正統派のユダヤ人地区(エルサレムのメア・シェアリムなど)では厳格にルールが守られ、世俗的な地域(テルアビブなど)では一部の店やタクシーが営業しているなど、地域や信仰度合いによって実践の程度は異なる。イスラエルへの旅行を計画されている場合、安息日の時間帯は移動や食事の計画に注意が必要。」
  • 11月14日
    早朝、車でテルアビブからエルサレムに向かい、エルサレム旧市街地を訪問。時折雨が降るなか、イエスが磔刑されたゴルゴダを覆う聖墳墓教会、十字架を背負い上った道を順に辿る。西の壁(嘆きの壁)では壁に手を当てる。キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の共通の聖地訪問が漸く叶った。ガイドの日本人の方は、しっかりと歴史を学んでおり、聖地を巡る複雑な歴史的経緯を分かり易く解説。歴史認識は教育の内容で大きく変わるとのお話は蘊蓄に富む。ご主人はエルサレムのヘブライ大学の学部長で、数ヵ月前に高山市でお会いしていた人であった偶然にびっくり。乾燥地帯、砂漠地帯のイスラエルに緑が多い理由も知る。建国以来約束の地であるこの地域をより美しくしようと先人が知恵を絞り、海水淡水化、「点滴灌漑」により国土を幅広く緑化。樹木の根本には貴重な水を効率良く植物に供給する細い管をあらゆるところに見る。また、エルサレムでは混雑緩和のためにLRT拡張工事が進み、駅の新設工事の現場を見る。改装後の国立図書館では、写真や資料により建国以来の課題解決の歴史も垣間見る。昔は手作業で植物に水を供給していた絵も見る。手作業に代え、管による灌漑方式を編み出したイスラエル。よくぞここまで発展させてきたとの感想。一連の調査を終え、テルアビブ市内で最後の晩餐。様々な発明でイスラエルで有名な亀仙人似の天才科学者も飛び入り参加。ホテルまでの途中、イランのミサイル直撃を受けた民間ビルも観る。厳しい安全保障環境の中でも、日常生活を維持するイスラエルの姿勢に学ぶところ大。防空システム、警報システム、シェルターシステムなどがそれを支える。徹底した国民の安全確保策を打ち立てるイスラエルを参考に、我が国の現状をどのように改善するのか探るのが我々のミッション。
    写真:エルサレムのシーズー 写真:聖墳墓教会にて
    写真:聖墳墓教会にて 写真:西の壁に手を当てる
    写真:西の壁と岩のドーム 写真:イエスの辿った十字架の道
    写真:イエスの辿った十字架の道 写真:点滴灌漑の現場
    写真:エルサレムのLRT新駅工事 写真:国立図書で見た国土緑化の歴史
    写真:建国時のイスラエル 写真:最後の晩餐
    写真:イスラエルの亀仙人と 写真:イランのミサイル直撃の民間ビル
  • 11月13日
    早朝、テルアビブ市内で、市民が当たり前に馴染んでいる電動キックボードに挑戦。とても快適。その後、昨日に続き、シェルター関連の視察を継続。

    (イスラエル国防軍の民間防衛の取り組みを聞く)
    午前中、テルアビブ近郊のラームラに所在のイスラエル国防軍に属するThe Home Front Command(HFC)を訪問し、シェルター整備を含めた国民保護に対するHFCの取り組みを伺う。HFCは1951年の発足当時はCivil Defence Force(民間防衛)と呼ばれていたものが、民間部門保護を重視する観点から後方(Home Front)支援を重視する呼称に変更した経緯がある。何れにしても、イスラエルの場合は、建国の歴史からして、日本では一般行政部門が担っている国民保護分野に、軍がより深く関与している現状を知ることができた。このMFC分野には、女性の徴兵の姿が目立つ。男性が3年の兵役に対して、女性は1年9ヶ月の兵役に服するイスラエルでは、子供たちに国防に関する教育訓練を施すに当たり、女性兵士が活躍している現状を伺う。シェルター整備に関しては、シェルター設置の基準をHFCが設定している現状。イスラエル建国時の1951年には公的施設へのシェルター設置義務化、1972年には第3次中東戦争(六日戦争)の経験を踏まえた市民への設置義務化、湾岸戦争時の1992年にはイランからのミサイル攻撃を受け、退避時間の短さを意識したsafe・roomの導入を行ってきた経緯を理解。制度改正の背景には、その都度現状を変更する理由があることを理解。シェルターの基準作りを専門としているMoshe Shlomo氏は、国防軍に17年間勤務のシェルターのプロであり、イスラエルの直面する現実的な危機に即応する基準作りに邁進している現状を伺う。シェルター整備に当たっては、実際にミサイル投下実験を行い、いかなる基準のシェルターが人命を守れるのかをチェックしている現状に驚き。最近のハマス、ヒズボラ、イランからのミサイル、ドローン攻撃の中で、アイアンドームによるミサイル防護、シェルターによる市民保護などが総合的に機能し、攻撃による市民の犠牲が最小限に止められ、イスラエル経済も平時の状態を維持できている現状を伺う。

    (電力会社のEMP対策)
    13日昼前には、イスラエル国営電力会社を訪問し、発電所の堅固なシェルター整備の実際を視察。発電所内には、データセンターも設置され、データ保護に対してEMP対策が盤石な体制で構築されている現状を確認。シェールガスを採掘しているイスラエルは、自前の燃料による発電が可能となっているのです。

    (民間の創意を国防に生かすイスラエル)
    13日午後には、イスラエル防衛研究所DDR&Dを訪問。国防分野に民間技術を積極的に導入し、民間技術を直接間接に育成するDDR&Dは、アイアンドームやアイアンビームなどを開発しイスラエル国民の安全安心を確保してきた自信がみなぎる。DDR&Dと連携が可能となった民間企業は、世界的な評価を得ることになることにもつながり、数多の企業の技術がDDR&Dに集約される現状を理解。ベンチャーキャピタルとの繋ぎの役割も果たすDDR&Dは、デュアルユース技術の宝庫になっており、Defence Ecosystemができあがっているとの認識を共有する中で、民間技術を軍事に活用することを忌避してきた我が国から見ると彼我の差の大きさに嘆息せざるを得ない。
    その後、DDR&D会議室で、IAIから山火事早期発見ドローン、SARの活用などについて、ベングリオン大学教授からは原子力施設防護に於ける新たな手法について、Ortechからはシュエルターの強度を飛躍的に高める素材の紹介について説明を受ける。イスラエルの人々は様々な創意工夫を次々に現実の提案として実現していくエネルギーの強さを感じる。国防と経済が車の両輪で刺激しあうことで、国の存立基盤が強化されるということであると理解。
    何と、夕方の8時過ぎまでの意見交換となり、疲れ果ててホテルに戻る。
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  • 11月12日
    午前零時過ぎ、イスラエルテルアビブのベン・グリオン空港に到着。夜明け前に、テルアビブ市内をホテルからほど近いロスチャイルド通りまで往復。バスと自転車の姿が目立つ。自転車用の専用レーンが整備され、日本では考えられないスピードで自転車、電動キックボード、e-bikeが滑走。バスの数の多さには、公共交通機関を優先させる政策の結果だと予想したが、その背景には、ひょっとしたらいざというときに大量の避難民を避難地に輸送する為に、平時から数多くのバスを動かしておく必要性を考えていると想像。

    (病院地下シェルター視察)
    12日の午前中は、テルアビブから車で地中海を北上し、ハイファ市に所在のランバンヘルスケアキャンパス(ランバン病院)を訪問。ランバンバンヘルスケアキャンパスの地下病院は、サミー・オファー強化地下救急病院 (Sammy Ofer Fortified Underground Emergency Hospital: FUEH) と呼ばれ、ミサイル攻撃や大規模な健康危機といった極度の緊急事態に備えて設計された、世界最大規模の強化地下病院。この病院でこの10月まで所長として7年、副所長として5年指揮を執った医師で経営者のミハエル・ハルバータル前所長からFUEHの全体像の説明を受ける。ハルバータル氏は空軍の医師出身で病院経営のために経営学を学んだという経歴もおありとのこと。ランバン病院は、近接するレバノンとの緊張関係がある中、2006年の第二次レバノン戦争時の経験により、病院に地下シェルターを設置する構想を企画し、2006年に設計に着手、2009年から5年かけて工事を行い、2014年に竣工したFUEHは、現在、世界最大級の地下病院の規模。それを陣頭指揮して実現したハルバータル氏の説明と現場案内は熱のこもったもの。

    (イスラエルの換気装置企業を訪問)
    12日の午後は、ベセル社 (Beth-El Group) の本社を訪問しました。ベセル社の経営幹部イェフダ・フェラウワー、エリーザ・フェーラウワー氏らからは、同社の取り組みを伺う。イスラエル北部、地中海を見下ろす北方丘陵地帯にあるシークロンヤコブに所在する同社は、NBC(核・生物・化学)防護システムなどを手掛けている企業。驚いたことに、同社は、イスラエル特有の農村共同体「キブツ」から発展した企業。1974年にキブツ・ジフロン・ヤアコヴ(Zikhron Ya'akov)で設立され、当初は地域のニーズに応えるための小規模な生産活動からスタート。
    我々の訪問の目的は、シェルター整備に当たってベセル社の提供するサービスを学習するためだったが、フェーラウワー氏らからは、シリアのヒズボラやイランとの戦争にあって、四国の面積ほどのイスラエルに3万4千発のミサイル、ドローンが飛来する状況下でイスラエル国民の日常を大きな混乱無く守ったのは、アイアンドームという迎撃システムもあるが、イスラエスに完備されたシェルター整備の効果が大きいとのお話を伺う。イスラエルのシェルターは地下シェルターばかりでは無く、地上に設置したsafe・Roomによって確保しているということが新鮮。建物の一部を堅牢化し、そこに同社の優れた換気装置を設置していくという手法。この仕組みだと、ミサイル発射から数分の時間で避難しなければならない中での対応が容易になることに加え、費用的にも比較的効率的な設置が可能となる。実際に今次のヒズボラ、イランとの戦争の中でもこの地上シェルターにより難を逃れた国民が多いとの話も伺う。ベセル社の目から見ると、日本が置かれた緊迫した脆弱な安全保障環境の中で、日本が何故シェルター整備に政策の舵を切らないのか、不思議で仕方が無いとの無言の眼差しがひしひしと伝わってくるような感触に襲わる。ホロコーストを経験し、その後も周辺国との緊張感の中で、自国民保護を徹底して固める政策に舵を切ってきたイスラエル、その中核企業としてシステムを作り上げてきたベセル社。それに対して、2度に亘り原爆投下という究極の惨禍に見舞われながらも、戦争に敗れた結果、自国民保護についての検討を後回しにし、他国に我が国と国民の生存を委ねる政策を押し進めてきた我が国との彼我の差に愕然。我々の訪問の結果、我々自身がその一点で覚醒。

    (muonの活用による地震予知)
    ベセル社の会議室で、イスラエルのベンチャー企業Astro’Teq.aiのイタマール・ザバリ氏のお話も伺う。同氏は、過去50年間の宇宙線ミューオン(muon)の観測を通じて、世界の地震発生との関連性をAIで学習し、muonの変動により今後の地震予知を進めるというノウハウをお話し頂く。Muonとは、宇宙線が大気中で生成する高エネルギーの素粒子で、電子に似た性質を持ちながらも質量が約200倍重く短寿命で崩壊する不安定な粒子。ザバリ氏のお話に依れば、AI活用により、地震予知に新たな可能性が出てきているとの興味深い話。イスラエル政府で取り組みも始まり、来年からはトルコ、メキシコでの取り組みが始まり、地震大国日本でもある損保会社との連携が始まっているとの話でした。ザバリ氏は、Muon分析に加え、SAR(合成開口レーダー)による解析も加え、精度を上げることとしているとの説明。こうした最新技術を組み合わせ、困難とされていた地震予知の分野に、AIを活用してイスラエルのベンチャー企業は乗り出していることに、元内閣府防災担当政務官の私としても新鮮な驚きを覚え、今後、政府の関係方面への繋ぎ役を買って出ました。
    夕方、駐イスラエル日本大使の新居雄介氏、大高準一郎公使、白井隆一等書記官、岩隈一生防衛駐在官を交え、イスラエス事情についてお話を伺う。
    写真:テルアビブの公共交通の存在感 写真:世界最大の病院シェルター視察
    写真:世界最大の病院シェルター視察 写真:世界最大の病院シェルター視察
    写真:軍が平時から非常時への転換作業 写真:ベセル社を視察
    写真:ベセル社を視察 写真:アイアンドームによるミサイル迎撃
    写真:イスラエル大使館と懇談 
  • 11月11日
    早朝、羽田空港を発ち、ミュンヘン経由でイスラエルテルアビブのベン・グリオン空港に30時間近くかけて到着。羽田発ミュンヘン行きの飛行機が遅延し、ミュンヘンからの同行者が預け入れて荷物がテルアビブに届かないトラブルが発生。タクシーでホテルまで行くのに、ベングリオン空港からホテルまでのクレジットカード決済のシステムがアプリ対応になっておらずアプリ読み込みの為手間取り、結局クレジットカードにより市内のATMで現金を引き出し手渡す。デジタル化もかえって面倒。タクシー乗車の際にも、行き先のホテル、携帯電話の番号を読み込み発行されたコード番号をタクシードライバーに呈示しやっと乗車可能に。セキュリティーの厳しい国の入国時の衝撃。飛行機にはサービス犬は同乗者に寄り添う状況も確認。良く訓練された犬。ロシア上空を飛行できないため、アラスカ、北極経由のイスラエル到着。複雑な思いを懐きながら貴重な経験を重ねさせて頂きます。
    写真:富士山が見送ってくれる 写真:テルアビブの夜景
    写真:ベングルオン空港にて 写真:機内で見かけたサービスドッグ
    写真:ベングリオンの胸像と 
  • 11月10日
    早朝、明日からスーとの暫しの別れとなることから、貴重な散歩の時間を噛みしめる。午前中、上京。在京の防災系事業所を訪問し、日本の消防防災機器の海外展開の課題についてお話を伺う。夕方、CBN規制について、麻産業を振興する立場の皆様とリモート会議。
    写真:スーと朝散歩 写真:スーと朝散歩
    写真:在京の防災系事業所を訪問 
  • 11月9日
    雨の一日。松本市内で予定されていた愛犬の集いが再び延期。残念。午前中、松本市内の宗教団体の例会に参加し、近況をお伝えする。昼過ぎに麻績村を訪問し、旧知の村のお歴々とこれからの麻績村振興の可能性を話し合う。古来、麻で栄えた麻績村を、麻復活というキーワードで、考えては如何かと提案。具体的には、「麻績」という歴史的共通項に注目し、過疎地の麻績村と麻績郷の所在する伊勢の松坂市、明和町との連携を提案。麻績村(長野県東筑摩郡)は、平安時代以降、伊勢神宮の荘園「麻績御厨」として麻織物を調進し、麻織物は、伊勢神宮の神御衣祭で奉納。伊勢神宮周辺では「神麻続機殿神社」(かんおみはたどのじんじゃ)が麻織物の神事を担う中心的な神社。その神麻続機殿神社が所在する麻績郷を包含する松阪市、明和町と麻績村の交流復活の可能性を提案。歴史・文化・産業・教育の4軸で連携を図り、麻績サミットや神御衣祭連携、麻織物復元プロジェクトなど、地域の誇りと未来志向を融合させた取り組みがあり得る、と盛り上がる。キノコ汁に舌鼓を打ちながらの放談会。夕方、明後日からのイスラエル訪問に備え、準備作業。
    写真:麻績村でキノコ座談会 写真:麻績村のキノコ汁
  • 11月8日
    早朝、スーの散歩。午前中、地下シェルター整備に向けての法制度の在り方について月末に予定される勉強会の資料を調整。AIの手助けを得ると作業が早い。松本市内でAIとRPAを業務改善ソリューションとして顧客に提案している若手起業家と面談。連携の可能性を探る。息子より若い実業家。夕方、夏物と冬物の洋服を交換。
    写真:松本市内のAI実業家と面談 写真:松本市内のAI実業家と面談
  • 11月7日
    早朝、地元の小規模事業者の相互啓発のズーム会議に招待される。前向きな参加者の熱量に触発される。その後、スーの散歩。ルーティーンの心地よさ。昼前に、在京DX企業と松本信用金庫を訪問し、DXソリューションによる伴走型中小企業支援について意見交換。午後は、在京コンサルタント会社と地元エネルギー会社を訪問し、災害時のLPガス活用の非常用発電設備整備について意見交換。
    写真:遠くの雲海を眺めるスー 
  • 11月6日
    早朝、満席の「あずさ」で地元に戻る。スーの散歩をこなした後、昼前に、長野県護國神社鎮座祭に参加。紅葉の美しさがが際立つ。遺族会の皆様と昼食をはさみ懇談。午後、安曇野市商工会関係者、地元建設事業者を訪問。夕方、ズームにより、環境に優しい再エネ事業を展開するベンチャー企業経営者と意見交換。需要側へのアプローチに関する相談を受ける。その後、地下シェルター設置促進に関する政治的アプローチについてシェルター協会関係者とリモート打ち合わせ。
    写真:護国神社鎮座祭りに参拝 写真:再エネ事業者とリモート会議
  • 11月5日
    早朝、明治神宮を歩く。ヤマガラ君が期待に応えて飛来。午前中、総務省を訪問し、ふるさと納税の返礼品、消防団関連の案件について地元の要請を伝える。昼前に、自民党シェルター議員連盟古屋圭司会長を日本核シェルター協会池田理事長と共に訪問し、今後の地下シェルター整備の方針について意見交換。古屋代議士は選挙対策委員長でもあり、自民党第2選挙区の公募の在り方についても意見交換。午後、環境省自然環境局を訪問し、熊対策の出口対策について意見交換。長野県は推計7000頭を越える日本一のツキノワグマ生息地域。近藤総務課長、佐々木鳥獣保護管理室長に私に寄せられている声を伝える。夕方、旧自治、郵政、総務庁が合体したら総務省同期の仲間の懇親会に参加。今日は、歩数2万歩を超える機動力。
    写真:明治神宮のヤマガラと 写真:古屋選対委員長と
    写真:環境省で熊対策を議論 写真:総務省同期と懇親
  • 11月4日
    早朝、白骨温泉を発ち、松本市街地に向かう。午前中、職安で開催のリスキリング説明会に妻を送り届けるため。リスキリングが身近なところで実施されることに急激な時勢の変化を感じる。私も、個人的努力に加え、体系だったリスキリングが必要かも。午後、上京。新宿で、元松本市職員の顔見知りと会食。彼も市役所を定年退職し第2の職場で頑張る覚悟。皆様、それぞれの立場で頑張っている。それが日本の活力に繋がる。参宮橋の東京居所に到着し、妻とスーとリモートで連絡。
    写真:画面を通じ妻と愛犬と語る 
  • 11月3日
    文化の日の早朝、スーの散歩。昼から、夫婦で今年最後になるだろう上高地を訪問。上高地は雪が舞う。その後、白骨温泉に投宿。リトアニアからの観光客カップルと露天風呂に浸る。遠路リトアニアからの3週間の日本旅行の中でわざわざ白骨温泉を選ぶ選択に敬意を表したい。「泡の湯」の会長から秘湯へのインバウンドの現状を伺う。
    写真:上高地の風情 写真:上高地の風情
    写真:夫婦で上高地を散策 写真:白骨温泉の風情
    写真:白骨温泉で寛ぐ 写真:旧知の「泡の湯」の会長と
  • 11月2日
    早朝から大忙し。スーの散歩の後は、同姓の皆様で年末の先祖の墓地の一斉清掃。松川村で開催の日本酒祭りに夫婦で出向く。参議院選挙に出馬の藤田ひかるさんも夫妻で参加。県内を巡り引き続き頑張っている様子。須澤松川村長が、酒蔵応援を訴える。
    写真:朝日に魅入るスー 写真:リンゴ畑のスー
    写真:先祖の墓地の一斉清掃 写真:すっきりとした先祖の墓地
    写真:松川村の日本酒祭りに参加 写真:松川村長が酒造応援を要請
  • 11月1日
    早朝、スーの散歩の後、1日中、自宅で過ごし、設立した合同会社に係る持続化補助金の申請手続きを完了。この間、大リーグのワールドシリーズをテレビ観戦、一連の外交日程を終えた高市総理の記者会見に見入る。時間の合間に、前日に拝聴した谷口智彦日本会議議長の講演「伸るか反るかの日本」を聞いて、心に刺さったフレーズの以下のメモ起こし。
    ・安倍晋三元総理の路線を引き継ぐ高市早苗新総理。
    ・安倍元総理は各国首脳から高い評価。トルコのエルドアン大統領は「高みから見下ろすような欧州リーダーとはことなる日本の総理」と。
    ・トランプ大統領は、相手国のリーダーを試す。度胸があるか、リスクを張れるかというのがトランプ大統領の価値基準。安倍元総理はそれをクリアー。
    ・高市新総理もその通り行動し、トランプ大統領の「心の鎧を脱がせる術」を心得ている。
    ・重要なのは、世間の目を気にせず、トランプ大統領の目に適うかが重要だと認識した行動原理。それこそが一国を率いる宰相のあるべき姿。
    ・横須賀に停泊の空母「ジョージワシントン」での行動、「マリンワン」に同乗の行動は度胸があることを証明。ワンマンショーのトランプ大統領が、高市新総理にスポットライトを当てた。
    ・「腕を上げジャンプした」高市新総理は、「ロックミュージシャン」と「関西のおばちゃん」のノリであの局面を演じた。
    ・世界に、高市新総理の背後にトランプ大統領が控えていると思わせるのとそうでないのでは、相手に対する影響力に大きな差が出る。大事なこと。
    ・公明党の連立離脱は高市新総理にとって幸運。防衛装備品輸出に対する制約、中国に逆らわない、情報部門の強化という点において、公明党のスタンスを自民党が忖度し踏み込めなかった歴史。これから脱するチャンス。
    ・高市新総理と小林鷹之政調会長は政策立案力が抜群であるが人間力がこれからだという点で似ている。人間力は、今後、高めることが出来る。これに加え高市新総理の特技は、「徹夜ができる」という点。
    ・高市新総理は、小林政調会長と3日で維新との連立合意を作り上げ、自ら総理の座を確実にした。このようなことが出来た総理は初めてだ。
    ・若い世代に「成長できない経済を残すことが」罪なのであり、「借金を残すこと」が罪なのではない。恰も「体脂肪率ばかりを気にして」、「却って健康を損なう」ようなもの、との高市新総理の比喩は秀逸。
    ・これから何が起こるか分からないときに何をするのか、そのために日本の地力をつけること、そして国民の自信を持ってもらうことが大事だ。
    ・その意味では、高市総理は、「時代の子」として、時代を画するこれからの20年のスタート台に立った。
    写真:高市総理の記者会見を聞く 写真:スーと一日過ごす

過去の活動報告

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