過去の活動報告
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活動報告 平成23(2011)年
- |2月4日
午前中安曇野市方面を訪問。昼に知人の叙勲の会に参加。その会で久しぶりに唐澤俊二郎先生のお元気な姿に接する。私の後援会の顧問。午後、退院した父親を施設に訪問。安曇野市穂高の地区訪問の後、松本市在住の都市計画家の倉沢聡氏と松本市の都市づくりのビジョンについてustream対談。


- |2月3日
氷点下の朝、豪雪で災害救助法が適用になった小谷村を訪問。白馬村を過ぎ小谷村に入ると積雪が見る見る増える。地元の除雪関係者から大網地区が大変だという話を伺い駆け付ける。大網の4メートルの積雪は圧巻。地元の80歳を超えるお婆さんが、「こんなところに嫁に来るんじゃなかった」と言いながら汗をかく姿が逞しい。帰路、小谷村役場と白馬村役場も訪問。午後、大町市内の若一若王子神社の節分会に参加。引き続き安曇野市豊科の豆撒き、松本市深志神社の節分会、恵光院の節分会に参加。その後、facebookイベント案内で松本市内の若い世代の会合(コーヒーとケーキの会合)に参加。バーチャルとリアルを結び付ける新たな手法。


- |2月2日
氷点下の朝、松本市白板交差点にて街頭演説。昼に定例の松本市内の防災勉強会。訪日中のFEMA元危機管理専門家のレオ・ボスナー氏の講演を30名弱で聴講。ボスナー氏は講演の後、松本市役所危機管理室を訪問。午後、松本市内の親戚の葬儀に参列。夕方、池田町の建設業協会の会合で挨拶。更に安曇野市豊科の青年実業家の定例会合に参加。ボスナー氏もゲスト参加。


- |2月1日
吹雪の早朝、松本駅前にて街頭演説。昼前から山形村を訪問。後援会の立ち上げに向けての活動を活発化。夕方、松本市内の地区訪問の後、松本市水道事業協同組合の新年会に参加。その折に同席の菅谷松本市長とじっくり懇談。「引退したら務台さんの後援会長になる」との言葉を頂戴する光栄。

- |1月31日
早朝、松本駅前にて街頭演説。午前中、大手精密機器メーカーの方から防災システムの海外展開に関する企業戦略のレクを受ける。昼から安曇野市池田町方面に赴く。後援会組織構築に向けての調整。夕方、安曇野市田沢駅前交差点、松本市深志二丁目交差点、松本郵便局前、松本駅前にて街頭演説。松本市内で支援者の集まりで挨拶。夜、事務所で今後の活動について事務所員と議論。

- |1月30日
早朝、安曇野市一日市場駅前、梓橋交差点にて街頭演説。昼に松本市内の知人と懇談。午後、市内の病院長主催の製薬会社若手営業マンの皆さまとの意見交換会。午後、松本市内の住宅地訪問。夕方、松本駅前にて街頭演説。その後、月例の松本経済人との意見交換会。政府系金融機関が民間金融機関の貸付先に積極的に進出している事態を伺う。政治家が閣僚になりうる程の専門分野を持たないと日本の政治が更に劣化するとのご意見拝聴。

- |1月29日
早朝、松本市白板交差点、松本駅前、深志二丁目交差点にて街頭演説。昼に大町市内で後援会発起人準備会が開催され後援会長が決まる。大町市で待望の後援会の基礎が固まる。雪の大町市内で街頭演説。夕方、松本駅前にてこの日二度目の街頭演説。その後、市内のホテルにて開催された「松本山雅」支援出資者懇談会に参加。反町監督他の山雅関係者と懇談。普段見掛けないメンバーの数に圧倒される。市内の町会新年会に顔を出した後、今年初のustream中継。松本市内のウェッブエイト社長草間淳哉氏と、ウェッブを活用した地域活性化について語る。


- |1月28日
午前中、長野市内で自民党長野県連総務会、職域支部長合同会議に参加。午後、松本にとって返して松本市波田地区の知人の葬儀に駆け付ける。その後、松本市内の知人宅を弔問。その間、松本市内の地区訪問。夕方、再度長野市に赴き、若林健太参議院議員主催の新年会に参加。700名を集める大新年会。その後、長野市鬼無里地区の青年実業家の皆さまと懇談。1日で松本と長野の2往復は正直きつい。


- |1月27日
早朝、大学での最後の期末試験。151名の学生の試験監督。遅刻学生から追試の要請あり。昼に長野新幹線で長野市に向かい自民党長野県連で打ち合わせ。途中、長野県庁を訪問し、リニア中央新幹線について担当者から現状を伺う。夕方、松本市内の建設関連事業者の会合で菅谷松本市長に引き続き挨拶。菅谷市長もこの種の会合に顔を出すんだ! その後、知り合いの韓国料理屋の開店に駆け付ける。更に、駅前のラーメン屋で知り合いと懇談。

- |1月26日
朝と晩に大学の期末試験。問題を出題し試験監督を務める。試験と試験の合間に東京在住の90歳になる伯父を久しぶりに訪問。体が痛いと言いながらも体はまっすぐで矍鑠。私の父親の7名の兄弟姉妹は上が94歳から下が80歳台前半まで一人も欠けることなく生き抜いている。戦前の人は生命力が旺盛なのか。思いがけなくこの伯父から小遣いを頂戴する。夜の試験監督を終わり帰路につく途中、試験を受けた社会人生徒と道連れに。「一年間の先生の授業は我々現場で働いている地方公務員から見て、いちいち納得できるもので、この授業が楽しみだった」との言葉を頂戴する。実務家から評価されるとは無上の幸福。本日の新聞で福島原発事故時の菅政権の政治主導の迷走を語る記事に接する。政治主導と危機管理の何と危うく機微な関係か。 - |1月25日
午前中、衆議院第二議員会館内で河野太郎氏が主催する自民党エネルギー政策議連の会合に参加。議連のエネルギー政策の提案の内容について、飯田哲也環境政策エネルギー研究所所長のコメントを聞く。飯田氏とは、2010年に立教大学で共に国と地方の環境政策について講師を務めて以来の再会。飯田氏のコメントは厳しい。「専門性も経験もない人たちがやっている原子力行政。原子力政策が数次元の「丸投げ」の構造。朝日新聞の『プロメテウスの罠』の連載にあるように、政府に当事者意識がないから東電国有化も及び腰。恐ろしいほどの能力の空洞化。政府に独自のチェック能力はなし」との指摘。午後、松本市内の事業所訪問。夕方松本駅前にて街頭演説後、松本市内のホテルで開催された建設関連企業の取引先との会合にて挨拶。その後安曇野市明科にてやはり業界団体の集まりにてご挨拶。また、安曇野市豊科にて開催された地元力士「高三郷」の激励会に顔を出す。21歳、140キロの頼もしい若手力士。ともに頑張ろうとエールの交換。ところで、群馬大学の片田敏孝教授が出版した「みんなを守るいのちの授業」(大つなみと釜石の子どもたち)が児童向け防災教育の実践的テキストとして出版され、私のところにも献本があった。片田先生の釜石市内での長年の防災教育が釜石の子どもたちを救った事実はとても重い。


- |1月24日
早朝、松本駅前にて街頭演説。昼前に新刊本の原稿ゲラのチェック。昼に散髪。午後、松本市内の集合住宅を廻る。夕方、長野市内の企業の関連事業者の集まりで挨拶。その後、松本市内で支援者との懇談会に参加。

- |1月23日
早朝、松本駅前にて街頭演説。午前中、過日松本市内の医療法人が企画したシンポジウムの模様を新刊本にする原稿校正。昼に国の官署を訪問。午後、血糖値が下がり急遽入院の知らせを受け、父親が入所する施設に駆け付ける。無事な姿を見て一安心。夕方、庄内地区の連合町会の新年会、駅前商店街・国府町の新年会、松本市日中友好協会新年会に顔を出す。駅前商店街新年会では、松本商店街連盟会長の木内基裕氏から、高度化資金の償還が終了した話と余裕資金の活用の可能性の嬉しい話を伺う。松本駅長からは、連続テレビ小説「おひさま」が終了しても松本駅の乗降客の好調は変わらない旨伺う。駅前の丸善などの開店効果が絶大。私の街頭演説の定点観測からも同様の認識との話をする。

- |1月22日
早朝、松本駅前にて街頭演説。午前中、松本市内の集合住宅を訪問。昼に、支援者の皆さまとの松本市内での新春の集い。190名以上の支援者が熱く語る。前日の長野市内の新春の集いと併せ270名の皆さまとの志の共有が図られたとの実感。午後、松本市浅間温泉の民団の新年会に招かれる。夕方、松本市内の町内会新年会(珍しく菅谷松本市長も出席)、安曇野市明科での定例懇親会に顔を出す。この間、2か所でポスターを掲示。

- |1月21日
雪交じりの天候の中、午前中、松本市内の集合住宅訪問。昼に長野市内で長野県第2選挙区内の長野市周辺地区後援会役員の皆さまとの新春の集い。80名の皆様にお集まりいただき、総選挙に向けての結束を固める。夕方、新幹線で日帰り上京し、都内で石破茂氏を囲む会合に顔を出す。「あずさ」の最終便で安曇野市に戻る。

- |1月20日
午前中、大学で後期最後の授業。学生の皆様に拙い講義を我慢強く聞いて頂いたことに対して御礼。昼に元の職場の先輩方との都内の定例会に久しぶりに参加。奥野誠亮先生が今年で99歳ながらも矍鑠としたご挨拶。「今日は務台君が姿を見せているが、今年は選挙があるので頑張ってくれ」との有難い激励を賜る。夕方、松本駅長さんからJR東の地域活性化の取り組みを伺う。その後、市内で業界団体の新年会と知人の会合を梯子。

- |1月19日
午前中、霞が関界隈に挨拶回り。霞が関の雰囲気は、消費税増税の見返りに大幅給与カットが迫る為か、何とはなしにやりきれない重苦しさが漂う。昼に、FEMA元危機管理担当官のレオ・ボスナー氏の霞が関関係有志への講演会に立ち会う。「東日本大震災に対する対応の課題は、スキルの有無ではなく、マネージメント・調整の有無にある」との的を得た指摘。午後、2月10日の国会議員会館内の危機管理シンポの打ち合わせの後、大学のゼミ生とゼミ誌発行を巡り意見交換。ゼミ生の共同作業のゼミ誌発行はそれなりの苦労がある。夕方、東日本大震災ボランティア実施に伴う休講の補講を行う。英国の実験的地方自治の取り組みを紹介。「大阪都」構想の発想の原点も恐らく英国の取り組み(大ロンドン都)にあると解説。

- |1月18日
早朝、松本駅前、渚一丁目交差点にて街頭演説。午前中メルマガ執筆。午後、安曇野市田沢の知人を弔問後、明科の地区訪問。集落の入り口にポスターを掲示。夕方、松本市にある県合同庁舎付近で街頭演説。様々な地区で街頭演説の後、松本市遺族会の新年会、土地改良関係者の新年会、定例の松本市内の経済人の懇談会を梯子。


- |1月17日
早朝、5時46分の阪神淡路大震災の発災時刻に神戸に向かって黙祷。早朝、松本駅前、深志二丁目交差点にて街頭演説。午前中、支援者から電波関連の相談を受け所管官庁に繋ぐ。午後、松本市南部地区を訪問。夕方、中央一丁目交差点、深志二丁目交差点、コモ庄内ショッピングセンター、松本駅前にて断続的に街頭演説。複数の人から差し入れを頂く。ポスターも新規に5カ所設置。夕方、支援者の新年会を2カ所、中信地区の新酒を愉しむ会、安曇野市議会議員有志の懇親会に順次顔を出す。少々お酒が過ぎた感じ。


- |1月16日
早朝、安曇野市一日市場駅前、梓橋駅前交差点にて街頭演説。途中、安曇野市三郷地区を訪問。昼前に安曇野市明科の知人宅を弔問。昼に、週末(22日)松本市内で開催する私の後援会主催の新年会の打ち合わせ。午後、松本市内の市街地訪問。夕方、松本駅前、深志二丁目交差点にて街頭演説の後、市内で開催された理容関係者の新年会でご挨拶。その後、安曇野市内の定例の会合。猪鍋を頂戴する。

- |1月15日
早朝、安曇野市豊科成相の御幣祭の柱倒しに参加。地元の氏神様のお祭り。午前中、松本市浅間温泉第8町会新年会ほかの松本市内の新年会を梯子。昼に松本駅前にて街頭演説。昼過ぎに、日本山岳会信濃支部の新年会に顔を出す。午後、松本市入山辺の地区訪問。夕方、入山辺の徳運寺で知人と供に厄払を受ける。松本駅前にて再度の街頭演説後、松本市内で支援者との懇談会。


- |1月14日
午前中、辰野町の造り酒屋の知人を訪ねつつ、県議の御尊父の訃報に接し弔問。松本市村井交差点にて街頭演説。昼過ぎに、長野市の公明党長野県連の新年会に顔を出す。漆原公明党国対委員長が、「うっかり1票がっかり4年」との政権交代に対する国民意識を絶妙の形容。午後、安曇野市豊科成相、新田地区の飴市の神事に顔を出す。夕方、筑摩神社の例大祭に顔を出す。その後、柔道整復師会中信支部の新年会、高校同期の例会、安曇野市議会議員を囲む会に顔を出す。



- |1月13日
昼間、安曇野市穂高地区を訪問。偶々旧知の信州大学教授OBの自宅を訪問し、旧交を温める。夕方、安曇野市商工会の新年会に顔を出す。商工関係者から例年にない激励の言葉を賜る。その後松本市南部地区の商工会関係者の会合を梯子。更に、安曇野市堀金の農協関係者の新年会に顔を出す。地元紙から野田内閣改造について取材を受ける。「泥船に絆創膏を張ったような感じ」と形容。

- |1月12日
午前中、一日大学の授業。3年生のゼミは就活で出席者が少ない。昔、霞が関で採用担当責任者であった立場から、ゼミ生一人ひとりの模擬面接。面接官がどのような観点で質問をするかを実地で感じてもらう趣旨。学生は衆人環視の中、緊張と恥ずかしさを覚えつつも、面接の勘所を体得してくれたようだ。夕方の大教室の授業で「外国人の地方参政権を巡る議論」の講義。講義の後アンケートを実施。参政権付与賛成意見と反対意見が、講義前に11対13と賛否が拮抗していたものが、講義後は4対20に慎重論が圧倒的に多くなる変化。法律的論点、政策論、諸外国の現状を踏まえての議論の紹介の結果。 - |1月11日
午前中、神奈川大学法学部の先生方と元FEMA職員のボスナー氏の意見交換会。今回の訪日で初めてのボスナー氏による公式行事。午後、月に一度の大学法学部教授会。夕方、ボスナー氏に加え、日本医師会の災害医療担当の役員、福島原発施設に診察往復する救急医療専門医らと意見交換会。医師会の役員の方は福島出身。野田総理が、「原発事故終息宣言」を行ったことを強く批判。後になってあの発言以降野田政権が失速したと振り返られることになる、と厳しく予想。

- |1月10日
早朝、松本市白板交差点、松本駅前にて街頭演説。松本駅前では、大学の教え子が就職活動で地元企業訪問に松本に戻り、街頭演説中の私に声をかけてくれる。互いの頑張りにエールの交換。昼に上京。日本学術振興会の招聘で1ヶ月半訪日の米国FEMAの元職員レオ・ボスナー氏を大学に客員研究員として迎え、大学のゲストハウスに案内。今後の研究活動の打ち合わせ。センター入試の説明会に参加した後、ボスナー氏を囲んで歓迎会。

- |1月9日
早朝、松本市白板交差点、松本駅前にて街頭演説。午前中、東京から松本・安曇野に事業所を設置希望の関係者に現場案内。地元の雇用・活性化に少しでも貢献できれば嬉しい。午後、安曇野市のアルプス団地の公民館で地元事業所の新年会にお呼ばれ。引き続き、安曇野市牧地区の新年会に顔を出す。夕方、松本市内の町内会有志の新年会に顔を出す。この新年会の特別料理、豆乳を使ったブリのシャブシャブに舌鼓。この日、政府の危機管理体制について毎日新聞が企画記事。私のコメントも引用される。

- |1月8日
早朝、松本駅前にて街頭演説。午前中、松本市内の団体の新年の会合を梯子。昼に日本舞踊の「信濃優扇会」の会合で挨拶。昼過ぎから「飴市」恒例の御神輿を担ぐ。本町二丁目の御神輿を担ぎ4時間近く中心市街地を練り歩く。途中、武田軍と上杉軍の綱引きに参加。武田軍に参加したところ、幸先よく2勝1敗で勝利。寒さで体が凍える。近くの銭湯の入浴券を頂き、神輿参加の皆さまと供に体を温める。夕方、女鳥羽川沿いの「三九郎」に集う子供たちとPTAの皆様を訪問。その後、夕刻の松本駅前にて街頭演説。


- |1月7日
早朝、松本駅前にて街頭演説。午前中、松本市中山地区の新年会、昼過ぎ同市双葉町会の新年会に顔を出す。民主党現職と鉢合わせ。次期総選挙に向けてエールの交換。知人の葬儀2件に参列。その後、三九郎準備のPTAの皆様に挨拶。午後、事務所で新刊本の最終校正。夕方、飴市の準備に勤しむ市街地を廻る。女鳥羽川の三九郎に集う皆様、飴市の神輿の周りに集う皆様に挨拶。その後、松本市内の新年会3件を梯子。更に安曇野市豊科の居酒屋の集いに参加。


- |1月6日
零下9度の厳寒の早朝、久しぶりに安曇野市豊科駅前、豊科カインズホーム交差点、豊科南小学校南交差点にて街頭演説。午前中、松本市内の地区訪問。昼に浅間温泉旅館協会主催の新年会に参加。午後、安曇野市明科、生坂村の知人宅を弔問。その後、大町市内で大糸タイムス主催の新年会に参加。地元選出衆議院議員が、「地元振興は国の予算を地元に持ってくることが重要。自分は地元の公共事業予算を沢山確保した」との挨拶。それに対して、地元国会議員の仕事ぶりの実態を知る地元の宮澤県議が、直後の挨拶で、「衆議院議員が利益誘導復活のような話をしたが、今は地元のことは地元が決める仕組みが必要な時代だ」と反発。会場からは、「その通り」との掛け声。夕方、松本市内で税理士の皆さまとの新年会に参加。相続税の税制改正と消費税の改正について意見交換。

- |1月5日
早朝、松本駅前にて街頭演説。その後、消防出初の分列行進までの間、松本市内を旗を持って歩く。松本市千歳橋の袂で、4年連続で消防分列行進を迎える。いつもながらの清々しい行進風景。昼に松本市内の事業所の新年会にてご挨拶。その後安曇野市内の知人宅2件を弔問。午後、松本商工会議所の新年互礼会。松本山雅のJ2昇格が大きな明るい話題。夕方再び松本駅前にて街頭演説。


- |1月4日
早朝、松本市白板交差点、松本駅前、深志二丁目交差点にて街頭演説。その後、市内のマンションを重点訪問。昼に安曇野市内の事業所の新年会に招かれ挨拶。午後、松本市新年御礼会、安曇野市新年互礼会に参加。夕方、松本駅前にて再度の街頭演説後、松本市波田の知人宅を弔問。その後、安曇野市豊科にて安曇野市内の精密機器事業所役員と懇談。


- |1月3日
午前中、支援者の関係者の訃報に接し連続で4件の弔問。昼前後に松本市飯田町二丁目町会を始め市内の町会新年会でご挨拶。飯田町二丁目は現職衆議院議員の住所地にも拘わらず、「町会を挙げて務台さんを前面支援する」との町会役員の皆様の声に大いなる力を頂く。安曇野市新田区新年会でも全面支援の応援を頂戴する。その場に居合わせた民主党地元県議も、新年会参加者の多くの皆様の前で、「党派を超えて地元候補を応援しなければならない」との声に賛同の意思を表明。その後安曇野市内で二次会、三次会に参加。大いなる盛り上がり。新年会を梯子する間、松本市深志二丁目交差点、千歳橋、深志三丁目交差点、松本市芸術館前、安曇野市成相交差点にて街頭演説。


- |1月2日
午前中、松本市ソフトテニス協会の打ち初めに顔を出す。その後、松本駅前、千歳橋、伊勢町、コモ庄内ショッピングセンター他で街頭演説。松本の市街地は、買い物客で賑わい、嬉しい風情。その間、井上デパートで靴を買う。丈夫な革靴。夕方、安曇野市田沢地区の後援会立ち上げ準備会に参加。これまで民主党を応援してきたメンバーが根こそぎ私の後援会幹部として御参加頂く。地殻変動が起きている実感。


- |1月1日
元旦、松本市内、安曇野市内の神社に初詣。仮眠を取った後、早朝の早起き会「元朝式」に参加。午前中、再度仮眠を取った後、松本市内の新年会を梯子。途中、松本市内渚一丁目交差点、松本駅前にて街頭演説。今年はどのような一年になるのか、多くの皆さまから激励される。地元紙に衆議院の地元選挙区の立候補予想者の顔が並び、私も2区の一角を占める。2012年午前零時からustream「むたい俊介アワー」でインターネットによる新年ご挨拶を申し上げる。


- |12月31日
大晦日の早朝、安曇野市豊科の早起き会に顔を出す。昼過ぎから松本駅前を皮切りに松本市内の10カ所ほどの地区で街頭演説。街頭演説をしながら、後援者宅を順次訪問。街頭演説に対しての概ねの反応は、「頑張っているな」、という好意的なものと認識。車の中からこぶしを握り締め頑張れとのエールを送ってくれる見知らぬ人も。夕方早目に自宅に戻り、紅白歌合戦を聞きながらメルマガ執筆。深夜、初詣に出立。 - |12月30日
一日かけて、安曇野市内、松本市内の知人宅を廻る。女性有権者が異口同音に、「今の政権の幼稚には呆れる。あんなにひどいとは思わなかった」、と見放すような口調。確実に政治的地殻変動が起きている感触。途中、餅つきを行っているお宅に出くわす。餅をついたり、頂戴したりと、年末の自宅訪問は楽しい。午後、国道19号線沿いの交差点、松本駅前、深志二丁目交差点にて街頭演説。夕方事務所にて、年始の挨拶用ビデオ撮影。年始早々のustream放映を予定。


- |12月29日
早朝、松本駅前、深志二丁目交差点にて街頭演説。「辺野古への基地移転の環境アセスの沖縄県庁送付に何故政治家が自らこれを持参しないのか。事務方に任せてばかりで政治主導のキャッチフレーズが廃る。困難な時こそ政治家が表に出るべきを、厭なことを事務方にやらせ、かっこいいところだけを政治家がとる虚飾の政治主導の極致。防衛省の政務三役は役立たず」と訴えると、「そのとおり」との道行く人の反応。その後、松本市内の支援者宅を順に尋ねる。お茶を頂きながら今年一年を振り返る。メルマガで2011年の活動を震災関連を重点に振り返る。

- |12月28日
早朝、松本市白板交差点、松本駅前にて街頭演説。通行中、街頭演説を見た人から激励のツイートを頂く。午前中事務所から、南海トラフの震源域拡大とリニア新幹線のルートの在り方について長野県庁の当局者に考え方を伺う。松本市内の知人の葬儀に顔を出した後、松本市内、安曇野市内の後援者に挨拶回り。夕方、松本駅前の馴染みのラーメン屋で友人と忘年会。 - |12月27日
早朝、松本駅前と深志二丁目にて街頭演説。地元紙が取材。原発事故についての政府の事故調査・検証委員会の中間報告に言及。中間報告は、非常時の政府の危機管理能力に対し厳しい評価。巨大システムは、起こる可能性のあることに対する的確な対応が不可避。ところで、内閣府の有識者会議が東海・東南海・南海地震の震源域を従来の2倍に広げる方針との報道。リニア新幹線の南アルプス貫通ルートがその震源域にかかる可能性。JR東海と政府はリニア新幹線のルート選定を見直すべし。長野県も再度CからBへのルート変更を主張すべし。東海地震の震源域上にリニア新幹線を作っていいのかは原発事故の教訓の「応用問題」。午前から夕方にかけ松本市内の支援者をゆっくりと廻る。夕方、松本市波田地区の支援者の皆さまと忘年会に参加。

- |12月26日
早朝、雪の中、長野市方面に年末の挨拶回り。長野市内全域が雪景色の中、来年の政局について意見交換しながらの挨拶回り。途中、長野市中条地区の支援者の方からつきたての餅を頂く。「力餅」。夕方、松本市役所で打ち合わせの後、松本市内の忘年会を梯子。

- |12月25日
安曇野市は朝から降雪。大糸線の電車で松本に行く。午前中、連日の整体院での治療。硬くなった体が解れる。昼から松本市内の支援者を訪問。夕方、フェースブックのイベント案内を頂戴し、「希望の風船上げ」と「クリスマスケーキ作り」に参加。はじめて会う「ネットの友」とのリアルな行事。その後、安曇野市内のパソコン教室を主宰する篠原寛行氏とustream対談。地域の人が繋がることにより自立できる道具としてのICT機器の活用の在り方について地域社会で現実に教えている実体験からその問題意識を伺う。その後、再度、「ネットの友」との忘年会に参加。能動市民との熱い忘年会。


- |12月24日
昼に松本市内で行きつけの整体院で治療。疲労がたまって体が硬くなっている由。午後、松本市南部の住宅団地を訪問。夕方、松本駅前にて街頭演説。寒いクリスマスイブ。その後、安曇野市の理容店で散髪。髪を整えると元気になったような気分。 - |12月23日
早朝から大学の給費生試験。教職員が手分けして試験監督。3科目に亘っての一日がかりの試験監督は結構な疲労。夕方松本に戻ろうとしたが、疲労感・倦怠感を覚え、大事を取って東京に宿泊。 - |12月22日
早朝、松本駅前と深志二丁目交差点にて街頭演説。午前中から午後にかけ、新刊本のゲラの校正作業。5時間で仕上げる。その間年末の挨拶のお客さんを迎える。夕方上京。新宿で高校「若手」同窓の忘年会。私が最年長という同窓40名が集まる。ソシアルネットワークの一局面。

- |12月21日
午前中、安曇野市内の挨拶回り。午後、松本市南部地区を廻る。途中、知人の葬儀に参列。夕方、忘年会を梯子。安曇野市の市議団の忘年会では、宮澤安曇野市長と同席。安曇野市の活性化のために、「安曇野東京会を設立し、外の応援団を沢山作ることを考えましょう」と提案。市長も快諾。期待感を感じる。 - |12月20日
一日中、東京で年末のあいさつ回り。出来立てほやほやの1年間の御挨拶「ニュースレター」を持参。国会が閉幕で、永田町、霞が関界隈は閑散。夕方、観光庁幹部と意見交換会。

- |12月19日
早朝、松本駅前にて街頭演説。午前中事務所に来客。午後、知人の褒章受章記念祝賀会に出席。その後、松本市内の事業所に年末の挨拶。夕方知人と松本市内で忘年会。

- |12月18日
午前中、安曇野市穂高のご不幸のあった知人宅を弔問。その後、父親が入居している福祉施設のクリスマス会に参加。午後、松本市内の地区訪問。夕方、松本駅前にて街頭演説。師走の日曜の夕方の駅前は、多くの人で賑わう。その後、山田晴通東京経済大学コミュニケーション学部教授とのustream対談。「メディアを通じた地域再生のヒント」について議論。松本地域は全国的なレベルから地域レベルまで4層のメディアに恵まれている地域との教授の指摘。地域再生や民主主義の成熟に果たす地域メディアの役割は大きいとの認識を共有。


- |12月17日
早朝、松本駅前にて街頭演説。午前中、松本市南部地域の公営住宅を中心に廻る。年配の世帯に加え、意外に若い世代も入居している実態。昼に中村胤夫元三越社長を松本駅に迎え、安曇野市穂高に向かう。穂高地区の後援会設立総会と中村元社長による記念講演。穂高の後援会が立ちあがたことで安曇野市全域に亘り後援会整備が完了。

- |12月16日
朝の大学の授業を終え、松本に戻る。午後、聴覚障害の方、老健施設関係者、支援者の方々が、それぞれ事務所を訪れる。最近、萬相談受け付けが多くなっている。大町市葛温泉の支援者の忘年会に呼ばれ、小雪の舞う中、アルプス山中の温泉旅館に駆けつける。とんぼ返りで松本市浅間温泉での安曇野市青年実業家の皆さまとの忘年会に駆け付ける。浅間温泉泊まり。 - |12月15日
一日大学の授業。ゼミでTPPについて取り上げ、ゼミ生が賛否の立場から議論。基本的な枠組みの共通理解の上にディベート方式による討論。反対論が若干優勢。政府の説明は抽象的で説得力不足との指摘も。 - |12月14日
忠臣蔵討ち入りの日、大学の教授会に出席。月に一度の教授会は、大学の当面の懸案を一挙に片づける場。夕方、自民党本部の幹部代議士と定例の会合。話題は勿論、解散総選挙の時期。 - |12月13日
早朝、松本駅前にて街頭演説。共産党の街頭演説終了を待っての演説。興味深かったのは、共産党の演説者が、「来年は解散総選挙がある」、「我が国の皆保険制度を守らなければならない」と訴えていたこと。これまで後期高齢者医療制度を含めて日本の医療保険制度の不備を厳しく指摘していた政党が、TPPという外圧の中で日本の医療保険制度の水準の高さを認めこれを擁護するという不思議な光景。昼前から午後にかけ知人を弔問。この間まで元気であった方の急逝に接する無常。その後、安曇野市堀金地区、松本市内の地区訪問。夕方、再度の松本駅前にての街頭演説。その後、松本市内で定例の経済人との懇談会に参加。

- |12月12日
早朝、松本駅前と深志二丁目交差点にて街頭演説。昼前から松本市南部地域の地区訪問。「新鮮な」地区訪問。夕方、松本駅に前バチカン大使の上野景文杏林大学客員教授を迎える。勤労者福祉センターまで松本市内を歩く。途中、「まるも」喫茶店に寄りコーヒーを頂戴する。バーナード・リーチが集った店。夕方から、上野前大使による、「欧州、バチカンと日本」の演題の講演。堅い演題にも拘らず100名もの聴衆。カトリックの思想と日本の習俗は似ているとの指摘。様々な政治的経済的行動の裏には実は宗教的思想の裏付けがあるとの指摘に「目から鱗」。Ustream中継を予定するも、勤労福祉センター職員の案内とは異なり、インターネットが不通によりリアルタイムの中継が不能。松本市内の公共施設のインターネット環境をきちんと整備しないと、松本にまともな会合は誘致できない、と、がっかり。その後、上野前大使を囲んで松本市内で懇談。

- |12月11日
午前中、安曇野市の地区訪問後、消防関係者の叙勲式典に参加。受賞者に元総務省消防庁防災課長時代にお世話になった御礼を申し上げる。昼過ぎ、安曇野市穂高の後援会立ち上げの相談に講演会関係者を訪問後、松本市南部地区を訪問。夕方、松本駅前、深志二丁目交差点にて街頭演説。その後、安曇野市豊科の居酒屋で馴染みの皆さまと懇談。

- |12月10日
午前中事務所に来客。昼から松本市南部地区を訪問。冷温の中の地区訪問は「気の毒」がられる。夕方、松本駅前にて街頭演説。その後事務所内で事務所員と年末年始の行動確認。

- |12月9日
午前中の大学の授業を終え松本市に戻る。午後、松本市内の地区訪問。夕方、松本駅前にて街頭演説。「国民に負担をお願いする議論をしながら、公務員や国会議員の身を削る改革は腰砕けでは、到底国民の納得は得られない」と訴える。松本市浅間の行きつけの居酒屋で、浅間本郷地区の公民館長の皆様の忘年会で挨拶。大いなる手応え。

- |12月8日
真珠湾攻撃の日。大学の授業で、町内会をはじめとした戦後のコミュニティ政策の系譜について講義。実は私は、元総務省コミュニティ担当参事官。東日本大震災で再認識されたことの一つに地域の安全・安心は地域社会の絆の強さと相関関係にあるということ。今後、地域社会の絆のカギとなるコミュニティ政策がより重要な政策課題になることは必定。 - |12月7日
早朝、松本駅前にて街頭演説。昼前に三鷹市の消防研究センター、消防科学総合センター、消防大学校を訪問。旧知の皆様と最近の課題について意見交換。消防大学校では、全国の消防本部からの研修生の皆さんの修了式に遭遇し、記念写真。松本広域消防からの研修生とも話す。午後、大学の担当委員会に出席。

- |12月6日
早朝、松本市深志二丁目交差点、蟻ヶ崎高校南交差点にて街頭演説。高校後輩の未来の有権者が笑顔で手を振ってくれる。午前中、長野県護国神社の「新穀感謝祭」に参列。直会で遺族会や奉賛会の皆さまと懇談。「戦没者に申し開きができない国家の惨状を政治が糺してほしい」との悲痛な遺族会の声を承る。昼過ぎに、松本市南部の住宅地を訪問。夕方、支援者の重い「個別相談」を聞く。松本市浅間温泉の居酒屋で元浅間芸者のOGの皆さまとの会合。こういう文化が松本にはあったのだ、との感慨。その足で、大町市の「地酒を嗜む会」の忘年会に参加。その場で、大町市の後援会組織の概要をまとめる。政治は「勢い」だ。

- |12月5日
早朝、松本駅前と渚一丁目交差点にて街頭演説。午前中、事務所で新刊本の原稿調整。出版社とはメールでやり取り。昼から松本市南部の住宅地訪問。楽器修理士の方から、「申し訳ないが前回は民主党に投票した。しかしひどく後悔している。二度と民主党には入れたくない。日本国がメルトダウンしてしまう。自民党も血を入れ替え日本再生を果たしてほしい」と強い口調で励まされる。夕方、再度松本駅前にて街頭演説。演説内容は新刊本の前書きで書いたばかりの内容。

- |12月4日
早朝、松本市内の早起き会に参加。その後、市内の月例会合に顔を出す。昼に河野太郎衆議院議員を長野駅に迎え、長野市鬼無里、小川村の後援組織の会合にお連れする。原発エネルギーの再生可能エネルギーへの転換、TPPと農業の関係について分かり易い河野解説。夕方、松本市浅間の山の会の忘年会に参加。元気のよい女性陣が、着物を洋服に裁断し直し着こなすことで大いに盛り上がっている姿に女性の本質を垣間見る思い。

- |12月3日
冷たい雨の一日。早朝、白板交差点にて、傘を差しながらの街頭演説。午前中、松本市内の会計事務所で防災講座の講師を務める。地元の活断層の糸魚川静岡構造線のビジュアルな画像をご覧いただくと食い入るように観て頂ける。災害情報の「見える化」が大事だと再認識。午後は新刊本の原稿調整。夕方、信州大学人文学部教授吉田正明教授とustream対談。「シャンソンとワイン」を通じた「大学の地域貢献」について楽しく語って頂く。吉田教授は長野県日仏協会の副会長。その後、松本市梓川で支援者との懇親会。地域農業の現状について現場の知見を賜る。 - |12月2日
早朝大学の授業。我が国の防災・危機管理体系の話をする。リアルな話に学生が目を点にしてパワポに見入る。このような授業の雰囲気は余りないように思えた。学生にレポートを課す。午後、安曇野市内倉科元梓川村長の奥様の葬儀に参列。夕方、安曇野市明科の地区の皆さまとの定例の懇談会に参加。忘年会を兼ねた懇談会。あっという間の師走。

- |12月1日
一日大学の授業。3年生の就職活動が本格的に始まり、師走の慌ただしさに拍車がかかる印象。大学の研究室に出版社のインタビューの来客。分かりやすい防災の新刊本についてのアドバイスを求められる。「人」の紹介も行う。年明けのシンポジウムに向けての日本学術振興会との打ち合わせも。教育研究活動と政策実現手段(政治)のコラボレーションを追及する営み。
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