「政権交代選挙1年を経た『政治主導』の現状に思う」

 政治主導を掲げた政権交代が実現して概ね一年が経過しようとしている。2009年のあの選挙の際に、慶応大学のある教授が興味深い指摘をしていた。民主党のマニフェストの基本は、「政治家が官僚よりも能力が優れているということを前提」の提案となっている、と。今回選ばれた民主党の政治家が行政府に入ったものの官僚よりも能力が落ちる場合には、1、官僚にコントロールされるか、2、政治家が無理難題を持ち出し行政を混乱させるか、のいずれかの結果をもたらすことになりかねない、と。(注)

 政権交代後の1年を振り返り、この教授の発言がその後の政権運営のあり様をピタリと言い当てていたことを感じるのは私だけではあるまい。

 鳩山政権は、普天間基地問題に関し、解決策の無い課題を自ら政治主導により持ち出し、その自縄自縛の中で退陣を余儀なくされた。それに代わって誕生した菅政権は、党首選の中で対立候補の小沢氏から、「官僚支配に戻った」と批判されている。

 日本経済が急速な円高の中で、政権交代選挙から1年が経過した時点で、わが国の経済は1年前と比較し、日経平均株価は16%下落、8円超の円高進行という事態を迎えてしまっている。政権交代後の政権運営に対する市場の評価は、この数字が正直なところではないかと思われる。経済無策、政治空白が続くことで、わが国が国際社会の中で漂流・溶解する懸念が叫ばれている。

 このような中で、相も変わらず、政治主導、官僚支配かの脱却といった、政治姿勢に関する抽象論ばかりが政治の表舞台で繰り返されている政治の現状に、多くの国民は辟易している。

 多くの国民が心配する年金と医療の問題に関しては、年金制度の先行きに関して具体的な改革の絵姿が全く出てこない。財源論が封印されてしまったからである。批判された後期高齢者医療制度も、75歳以上の高齢者を国民健康保険などに戻す考え方が提案されているものの、保険財政の組み立て方についての考え方は後期高齢者医療制度と大きな違いがないように思われ、決着の行方は五里霧中である。

 政治主導といっても、批判に慣れた政治家が、政策立案能力に長けているかというと、そうではない。一方で、政策立案能力に長けた集団であったはずの官僚組織は「いじめられ」、その上、政治主導というマジックワードの下に「仕事を奪われ」、今は、捕虜収容所の捕虜のような状態にあるように感じられる。「戦闘で死ぬことはないがやる気が起きない」状態なのである。今の霞が関に、「国家の危機に臨み、国家国民のために官僚がしっかりしなければならない」、といった士気を感じることはなくなった。上目使いの「平目」状態で、政治家である若い上司の指示を待つ状態が多くなっている。

 政治主導で時宜を得た的確な指示がどしどし下りてくるのであれば問題はない。しかし、聞こえてくるのは、各省庁に入り込んだ政治家の個人的思い入れによる疑問符がつくような指示の多発、そしてそれによる役所の現場の混乱・疲弊。もはや、官僚組織の現場は、制度改革を前に進めようという溌剌としたエネルギーに溢れたところではなくなっている。

 ましてや、円高で国家経済、国民生活が危機的状況にある中で、堂々と長期に亘る党首選を行うような悠長な政治がわが国にはびこっている現状は座視できない。

 一体全体、わが国の政治はどうなってしまったのか。元米国大統領補佐官マイケル・グリーン氏ではないが、わが国に政治の混乱を続けている余裕などない。政治の混乱が経済の足を引っ張るような不幸を早期に解消するためにも、わが国の民主主義を進化させる政界再編は不可欠である。

(注)この大学教授の発言を掲載したメルマガ
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