2026年10月10日、長野県護国神社で執り行われた「長野県出身特攻隊員160名慰霊式典」に、長野県護国神社総代会長として参列いたしました。秋の深まりを感じる静かな境内で、若くして命を落とした県出身者の御霊に向き合う時間は、胸に迫るものがありました。
式典後の直会では、参加者の皆さまとともに、長野県の特攻隊員が辿った道のりや、私たちの足元に残る戦争の痕跡について語り合いました。広島や沖縄での平和学習は非常に貴重ですが、同時に、自分たちの暮らす地域にも戦争の影が確かに落ちていたことを知ることが、平和を多面的に学ぶ上で不可欠であるという思いを共有する場となりました。
■松本飛行場──地方にひっそりと存在した「戦争の最前線」
太平洋戦争末期、現在の信州まつもと空港北側一帯には旧陸軍松本飛行場が広がっていました。ここからは、陸軍の戦闘機、重爆撃機、練習機が日々離陸し、戦局の悪化とともにその役割は重くなっていきました。
●四式重爆撃機「飛龍」(キ67)
名古屋から疎開してきた三菱重工業名古屋製作所の組立・整備拠点が松本に置かれ、最新鋭重爆「飛龍」が試験飛行のために松本の空へ舞い上がっていました。
●九九式双発軽爆撃機(キ48)
のちに沖縄戦へ向かった特攻隊の搭乗機です。松本飛行場では夜間飛行や低空侵入など、決死の訓練が繰り返されました。
●九五式一型練習機(赤とんぼ)
陸軍パイロットの基礎訓練機として、日常的に離着陸が行われていました。
●九七式重爆(キ21)・九九式軍偵察機(キ51)
本土決戦に備えた部隊移動や連絡飛行にも使用されていました。
松本飛行場は、「三菱疎開工場としての航空機整備・試験飛行拠点」「特攻隊の終盤訓練基地」という二つの重大な役割を担っていたのです。
■松本で訓練した特攻隊──武剋隊・武揚隊の若者たち
1945年2〜3月、沖縄戦に向けて編成された陸軍特別攻撃隊「武剋隊」「武揚隊」が松本に配置されました。
隊員たちは浅間温泉の宿を拠点とし、松本飛行場で夜間飛行、低空侵入、決死の離着陸訓練を繰り返しました。
訓練を終えた隊員たちは、松本→知覧(鹿児島)・新田原(宮崎)→沖縄沖へと向かい、帰らぬ空へ飛び立っていきました。
長野県出身者160名の特攻死。その一部は、まさに松本の空から旅立った若者たちでした。
■地元の戦争史を平和学習に取り入れる意義
平和学習といえば、広島・長崎・沖縄が象徴的な地として挙げられます。しかし、今回の式典を通じて改めて感じたことがあります。
それは、戦争は遠い地で起きた出来事ではなく、私たちの暮らす地域にも深く刻まれているという事実です。
松本飛行場跡は、今や住宅地や学校となり、当時の面影はほとんど残っていません。浅間温泉の宿も多くが建て替えられ、特攻隊員が過ごした部屋を知る人も少なくなりました。
だからこそ、地元の戦争遺構や戦争犠牲者の歴史を掘り起こし、語り継ぐことが必要であると強く感じます。
沖縄や広島を訪れることは、戦争の悲惨さを学ぶ上で非常に重要です。しかし、自分たちの足元にも戦争の影があったことを知ることで、平和への理解はより立体的で深いものになります。
■松本の空を見上げながら
式典を終えて空を見上げると、かつて特攻隊員たちが訓練し、旅立っていった松本の空が広がっていました。
彼らが見た空と同じ空を、私たちは今日も見ています。その事実を胸に刻みながら、地元の歴史を紐解き、平和を考える営みを続けていきたいと感じました。
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