1985年8月12日。 私は群馬県庁に赴任したばかりで、婚約者と松本へ向かう車の中で、ラジオから流れた「ジャンボ機墜落」の速報を聞きました。 あの日の空気、車内の沈黙、胸のざわつきは、41年を経た今も薄れることがありません。
毎年この時期になると、事故の報道や検証記事が増えます。 昨年、私は「なぜボーイング社への正式聴取が行われなかったのか」という疑問を文章にしました。 その疑問は、長い年月の中で私の中に沈殿し続けてきたものです。
そして今年、事故調査官の証言、米国側調査官の手記、ボーイング社の“説明削除と謝罪”など、 これまで見えなかった輪郭が少しずつ浮かび上がってきました。 それらを踏まえると、昨年抱いた疑問は、単なる違和感ではなく、 構造的な問題意識として正当なものだったのではないか と感じるようになりました。
そこで今年は、少し視点を変えてみたいと思います。 もし日米同盟の制約がなく、ボーイイングへの正式聴取が行われていたら、事故原因はどう描かれていたのか。 そんな「反事実」を静かに思い描いてみます。
1:ボーイング聴取が行われなかった理由の理解
昨年の時点では、私は「なぜ聴取が行われなかったのか」という疑問を抱いていました。 今年、その理由が少しずつ明らかになりました。
事故調査官は、 「ボーイング修理担当者は来日聴取を拒否した」 と証言しています。
米国側調査官の手記には、 「当初は修理ミスを認めるような発言があったが、後に説明が変わった」 と記されています。
そして2026年、ボーイングは自社サイトの説明を削除し、JALに謝罪しました。
これらの事実をつなぎ合わせると、 ボーイングが修理ミスの経緯を一貫して説明できなかった という構造が見えてきます。
しかし、なぜ日本はボーイングに強く迫れなかったのでしょうか。 その背景には、昨年私が直感的に感じていた「日米同盟の制約」が、やはり存在していたと考えています。
2:日米同盟が事故調査を静かに縛っていた?
1985年当時、日本の航空行政は米国FAAの技術体系に深く依存していました。 航空機の型式認証、修理方法、構造強度の基準――その多くが米国の技術体系に基づいていました。
つまり、 日本の事故調査は米国の協力なしには成立しない構造だった と言えます。
さらにボーイングは、米国の軍事インフラを担う企業です。 軍需企業への責任追及は、単なる企業責任ではなく、 米国の軍事的信用への影響 を伴います。
この構造の中で、 日本政府がボーイングを公的に批判することは、極めて難しかったのだろうと感じます。
昨年の私は「腑に落ちない」と書きました。 今年の私は、その理由を「構造」として理解し始めています。
3:反事実分析──もし日米同盟の制約がなかったら
ここからは、静かに想像してみたいと思います。 もし日米同盟の制約がなく、ボーイングへの正式聴取が行われていたら、事故原因はどう描かれていたのでしょうか。
これは過去を変えるためではなく、 構造を理解するための思考実験です。
(1)修理ミスの「理由」が明らかになっていた可能性
ボーイングの修理担当者が、 なぜ接合板を分割したのか。 なぜ本来の手順と異なる修理が行われたのか。 その背景には何があったのか。
正式聴取が行われていれば、 その「理由」が明らかになっていた可能性があります。
(2)メーカー側の“構造的責任”が明確化されていた可能性
修理ミスだけでなく、
・設計の冗長性
・品質管理体制
・検査手順 など、メーカー側の構造的責任が明確化されていたかもしれません。
事故原因の重心は、 日航の整備体制から、ボーイングの設計・修理・品質管理へ 大きく移動していた可能性があります。
(3)日航の社会的評価も変わっていた可能性
事故後、日航は社会的批判を一身に受け、経営破綻へ至りました。 しかし、もしボーイングの責任が構造的に認定されていたら、 日航の評価は大きく異なっていたかもしれません。
(4)国際航空安全基準が変わっていた可能性があります
正式聴取が行われていれば、 FAAの修理基準や国際的な点検手順が、1980年代後半に大きく改訂されていた可能性があります。
4:41年を経て、ようやく見え始めた“構造的真因”
今年明らかになった事実は、 「ボーイング聴取が行われなかったこと自体が、事故原因の一部だった」 という理解を裏付けています。
事故は、技術的なミスだけではなく、 日米同盟・軍需産業・外交・航空行政が交錯した“構造的事故”だった と感じます。
昨年の私は「腑に落ちない」と書きました。 今年の私は、その違和感が「構造的な問題意識」だったことを静かに理解し始めています。
5:御巣鷹の記憶を未来へ
事故から41年。 当時を知らない世代が増えても、 520名が亡くなった事実は変わりません。
しかし、事故の「原因」は、 技術的事実だけでなく、 国際政治の構造が影を落とした複合的な現象だったことを、 私たちはようやく理解し始めています。
もしボーイング聴取が行われていたら―― その問いは、過去を変えるためではなく、 未来の安全を守るためにこそ意味があります。
今年も、御巣鷹の記憶を胸に、 静かにこの文章を記します。
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