本来、外交官の役割は、本国と駐在国政府を友好的につなぐことにあります。ところが近年、駐日中国外交官の発言や行動は、その常識から大きく逸脱し、日中関係に緊張をもたらしています。
2025年11月8日深夜、在大阪中国総領事がSNSに日本の総理に対する暴力を示唆する投稿を行い、日本国内外で強い批判を浴びました。日本政府も抗議を行い、外交官として著しく不適切な言動と受け止められています。さらに、呉江浩駐日中国大使も2024年5月に大使館での座談会において「日本が中国分裂を企てる戦車に縛られれば、日本の民衆が火の中に連れ込まれる」と発言し、日本政府が「極めて不適切」と抗議しました。こうした事例は、外交官が駐在国との友好構築よりも本国への忠誠を優先していることを示しています。
背景には、中国特有の統治モデルがあります。習近平主席は「忠誠」を軸にした一強体制を築き、側近や官僚にとって最重要なのは習近平への忠誠心の誇示です。外交官も例外ではなく、赴任国でどう見られるかよりも「ボスにどう評価されるか」が最大の関心事となります。欧米の複数の論者は、習近平氏がスターリンの統治手法を研究し、現代中国共産党に応用していると指摘しており、反腐敗闘争を通じた権力闘争や粛清の仕組みもその延長線上にあると分析されています。
在大阪総領事については、かつて日本語に堪能で親日的な交流を重ねた人物と報じられています。しかし、習近平体制下では「親日派」では出世できないため、戦狼外交官へと転じたと解説されています。今回の暴力的投稿は、忠誠心を示そうとした結果、国際的な批判と嘲笑を招き、中国自身の国益を損なう事態となりました。ネット上では、「大国と呼ぶには人の器が小さ過ぎ、小国と呼ぶには人の数が多すぎる。故に間を取りて中国と称する也」といった揶揄まで登場しています。
一方、日本の「存立危機事態」制度は、中国がしばしば誤解するような「台湾防衛のための仕組み」ではありません。これは、密接な関係にある国(典型は米国)が攻撃され、日本の存立が脅かされる明白な危険がある場合に限定的に集団的自衛権を行使できる制度です。憲法9条の制約を踏まえた極めて抑制的な仕組みであり、人民解放軍を制約なく動かせる中国とは根本的に異なります。
元外交官の宮家邦彦氏は、中国共産党の行動原理を「台湾と抗日には妥協しない」「メンツが潰れると制御不能」「激高後は冷静化に時間がかかる」「その間に不利益を熟考させることが重要」「妥協にもメンツ保持が必要」と整理しています。こうした特徴を踏まえると、日中間の外交交渉は極めて困難であり、日本は隣国として厄介な体制を抱えていることが分かります。
今回の大阪総領事の事例は、本人の資質だけでなく、中国共産党の統治構造が生み出した「犠牲者」としての側面もあるでしょう。忠誠を誇示するための過激な言動が、結果的に本国の国益を損ない、本人のキャリアをも閉ざすことになったのです。可哀そうに彼は大好きな日本に2度と戻ることはないでしょう。
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