令和7年5月に合同会社「防災制度・運用研究会」という法人を設立し、7月1日に設立総会を開催し、私が代表社員に就任しました。
私は、公務員、神奈川大学教授、代議士という経験を経る中で、様々な災害現場に駆け付け災害対応を行い、防災危機管理分野の制度創設・改正に携わって参りました。茨城県総務部長時代にはJCO臨界事故に遭遇し、茨城県災害対策本部で刻々と変化する事態に対処して参りました。総務省消防庁防災課長時代には、有事法制制定の動きの中で、国民保護法制制定に汗をかきました。この時には、防災課長と併任を受ける形で総理府安全保障会議事務局参事官としての役割も頂きました。当時、安全保障会議で陣頭指揮を執ったのはその後総理になられた安倍晋三官房副長官でした。
神奈川大学法学部教授時代には、学生に対して、防災危機管理制度を授業で取り上げると共に、東日本大震災に遭遇した際には、被災地支援、復興支援の一環として、神奈川大学の学生がバスによりリレー方式で被災地に赴きボランティアとして活動する「神大ボランティア駅伝」を大学当局に提案、それが大学に受け入れられ、被災地から非常に評価される実績を得ることが出来ました。もちろん私自身もゼミの学生を伴い現地入りしました。
国会議員に当選して以降は、政府にあっては内閣府防災担当政務官、内閣府原子力防災担当副大臣を拝命し、衆議院にあっては衆議院災害対策特別委員会委員、衆議院環境委員長を務め、自民党にあっては災害対策特別委員会事務局長、シェルター議員連盟事務局長を務めさせて頂きました。
国会議員を退任した後には、シェルター議員連盟事務局長時代からお世話になってきた日本核シェルター協会の理事に就任し、令和7年2月にウクライナ復興支援事前準備のためにキーウ訪問、同5月にスイスの核シェルター整備の現状調査を行って参りました。
こうした職歴を経る中で、阪神淡路大震災、東日本大震災、松本地震、熊本地震、神代断層地震、能登半島地震、筑摩川氾濫や西日本豪雨災害を始めとした各地の土砂災害の現場を実地に観て参りました。そして、被災者支援の新たなツールとしてトレーラーハウスを機動的に被災地に投入出来るようにするための環境整備にも努めて参りました。
こうした中で、政府与党にあっては、日本の災害対応能力を更に高めるために防災庁設置の動きが急になっています。私はこの動きは重要な動きだと考えています。その上で必要なことは、政府の動きと連動し、防災供給側の要素技術と被災者の需要のマッチングを行い、それを政府にしっかりと伝えていくプラットフォームのような役割を厚くしていくことが求められていると考えるに至りました。この点は、合同会社の設置について相談を持ちかけてきた赤澤亮正防災庁設置準備担当大臣とも認識を共有しています。
既に、様々なレベルでそのような機能は存在していますが、政治的なレベルも含めてそれを実現していくプラットフォームの役割が不足しているように感じてきました。そうであれば、自らがそのような役割を果たそうではないかということで、私が政治活動を行う中で活動の一つの拠点であった防災行政研究会という勉強会を母体に、防災系合同会社「防災制度・運用研究会」を設立して、法人としてこうした活動を担っていくこととしたところです。この場を通じて、我が国、地域社会の災害対応力強化、防災を通じた地域活性化などに、同志と共に動いて行きたいと考えています。
日本は世界有数の災害対応力を有する国です。その要素資源の力を更に発揮させる為にも、この分野の知見が広く共有されるような、産官学政金といったステークホルダーを繋ぐプラットホーム的役割が果たせれば良いなあと夢見ています。
設立総会では、安倍総理のスピーチライターとして著名な谷口智彦氏に記念講演を行って頂きました。世界情勢が大きく変化する中で我が国が目に見えない自己制約を自らに科して危機対応力を殺いでいる現状について警句を発する講演でした。この視点は、国防・安全保障だけではなく、防災・危機管理の面でも妥当する視点です。「着眼大局着手小局」というスタンスに立ち、身近な課題解決も含めて、合同会社の運営をして参りたいと考えております。
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