「若者の意識が地方に向く」
〜その受け皿を用意〜

 新型コロナ感染症が流行っている今、羽生善治さんが子どもたちに、「歴史的な出来事が起きている今は、リアルタイムで歴史を学んでいる貴重な経験であり、良い機会」と語っています。私も自分の中学生の女の子に同じことを言っていますが、確かに新型コロナ感染症を機に、世の中の在り様ががらりと変わる予感があります。日本が戦争に負けて、それまでの日本人の世界観、思想ががらりと変わったように、更に遡れば明治維新で日本人の文化、気持ちの持ちよう大きくが変わったように、この数年で日本人の価値観の大転換が起きるように思われます。

 驚いたことに、東京に勤務し私と同居している息子が、最近、「日本で移住先はどこが人気があるのか」とふと聞いてきたのです。これまでは便利な東京が好きで、在京の大学を卒業して以来ずっと東京の華やいだ都会の雰囲気に馴染んできた息子が、地方への移住、地方勤務に興味を持ったということに正直驚きました。恐らく、コロナ禍を機会に同世代の若者の相当数が同じような思いを持っているのではないかと想像しています。

 私は現在、自民党過疎対策特別委員会の事務局長として本年度で期限が切れる現行過疎法の後継法の在り方を議論しています。これまでは、都会に比べハンディキャップを抱えた過疎地域を何とか下支えしようとする弱者救済的な感覚で対策を打ってきました。しかし、これからは、都会と異なり、過密ではない、開かれた「疎」な地域のメリットに価値を見出すところに政策の切り口があるのではないかと考えています。「アフターコロナ」の日本人の生活変容を見据えた政策を作り上げて行くことが求められているように思えます。その一環として、若者が、地方、特に過疎地域で自分の生活スタイルと確立しやすくなるような政策の束を作っていくことが大事だと思います。

 私は折に触れ、ネット上で地域おこし協力隊の有志と情報交換をしています。地元で頑張っている協力隊の皆様とも意見交換していますが、彼らの過半は、本当に地方で骨を埋めて頑張るという強い気持ちを持っています。金銭的な意味の満足ではなく、精神面の充実、地域との交わり、自分たちが地域で必要とされていることに対する満足、時間的な余裕、四季の移ろいを感じる日々といった日常的な生活の満足感を希求しているように感じられます。

 それが今回の新型コロナ過をきっかけに、満員電車で遠距離通勤をし、悪い空気の中で、ビルの中の過密な環境の中でひょっとしたらとんでもない未知の感染症の危険に晒されているかもしれない状態を無批判に受け入れてきた現状の危うさにはたと思い至ったのではないでしょうか。このころのICT技術の進展でテレワークが理屈の上では可能になったとは思っていたものの、それがコロナ禍を切掛けにごく短期間で半ば強制的にではあるものの標準的な働き方として普及し始めました。実際にやってみると意外に「いけてる」働き方だと思い知りました。それが十分に可能であれば、コロナ後も何も大都会に住む必要はなく、ICT環境、生活教育医療環境さえ整っていれば、地方に住んだ方がメリットがあると実感するようになっているのです。

 そういう大きな時代の潮流をしっかりと受け止め、その流れを大きな流れにするべく政府や地方自治体は制度的バックアップをしなければなりません。まさにそれを先取りしたかのような受け皿の仕組みが令和元年の臨時国会で議員立法として成立しています。

 都会から地方に移住する若者や、地域おこし協力隊を卒業した若者が、人口急減地域で働きたいと考えた場合に、その地域で設立された地域おこし事業協同組合に職員として勤務し、月30万円ほどの安定収入を得て、その地域の様々な要請に応じて活躍する機会を得るという仕組みです。決して高給ではありませんが、地方としては遜色のない一定の水準の給料を得て、この事業協同組合を足掛かりに地域社会を元気にする様々な活動に従事することが可能となります。競争原理ではなく協調原理で支える地域社会に馴染む仕組みなのです。もとより地域社会の経済力だけではこの給与水準を仕組むことはできません。法律に支えられた厚い公的支援を背景にこの事業協同組合は存続できます。

 新型コロナ感染症が我が国から去った後、地域おこし事業協同組合を突破口に地域社会が息を吹き返し、若者が過疎地域に普通にいる新常態を作り出すことに繋がることを願いつつ、コロナ後の新しい世の中にふさわしい地方創生の制度の束の構築を考えてまいりたいと思います。

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