「国家公務員新規採用7割減の意味」

〜諸井虔氏の炯眼に学ぶ〜

 民主党が国家公務員の2013年度新規採用を巡り、2009年度比で平均7割減らすとの方針を打ち出した。消費増税の前提となる「身を切る改革」の一環との位置付けだが、新人採用の抑制は長期的な国の機能を弱体化させる潜在的要因ともなる。

 新人採用大幅抑制のきっかけは、元々、天下り根絶を標榜した民主党政権が、定年まで国家公務員を公務につかせる方針を取ったために、定数が一定の中で中高年の公務員を職場に抱え込むためには、新人採用を大幅に抑制する以外の選択肢しか無くなったことが問題発生の発端であった。

 そこに消費税引き上げの際の「身を切る改革」というもう一つの「政治姿勢」が加わったために、それが政府の一見格好の良い有権者向けのスタンスとなってしまった。

 しかし現実の公務の姿を眺めるとその姿は私に異なって見える。高齢化した公務の現場は一昔前の活気は薄れ、停滞感が漂っている。退職勧奨が無くなり、その結果管理職の年齢は上がり、昔であればとっくに上席管理職になっていた働き盛りの世代が中間管理職として黙々と働いている。民間企業に就職した大学同期の者は経営トップになったり役員になったりする中、公務の枠の中に閉じ込められている閉塞感は覆いがたい。そして何より、給料の高い人たちがそのまま公務員として勤務していることから若者が公務から締め出され、公の仕事に就きたいということで一生懸命勉強してきた学生の運命を大きく変えることになってしまっている。

 最近はやりの言葉で言うと、この事態も結果的には、「高年齢層を優遇し若年層にしわ寄せを強いる世代間不公平」の公務員版となっているのである。

 天下り根絶はそれ自体は美しいキャッチフレーズであった。しかし何故天下りが存在したのか。それは公務の現場における新陳代謝を促進する必要があったためだ。それが若い世代のうちに公務内で力を奮えるという官僚制のダイナミズムを支えていた。

 時代の変遷により官僚制度が変わらなければならないことは明らかである。しかし、どの様に変わるべきか、公務員制度というものを中長期的にどのように考えるべきかという全体の議論なしに、一種の「必要悪」であった天下りの弊害だけに着目してそれを禁止したことのつけを一方的に若い世代が蒙り、そしてまた公務部門の停滞を招いているとしたら、それは木を見て森を見ずという誹りを招かざるを得ない。

 私は以前、地方分権推進委員会事務局参事官として当時の委員会委員長であられた諸井虔先生にお仕えしていた頃、上級公務員の退職後の処遇に関して諸井先生の意見を伺う機会があった。

 諸井先生は、「官僚の天下りは本人にとっても社会にとっても余りよいことではない。地方分権改革が進まないのも、官僚がいつまでも出身省庁と縁が続くことに淵源がある。かといって官僚をずっとその役所に置いておくことも組織の活力の観点から宜しくない。そこで私は、国会の上級スタッフとして名誉ある処遇をすることが解決策になると思っている。キャリア公務員が長年の経験の中で培った知見を、天下国家の観点から生かすのだ。親元から切り離すことで親元への遠慮もなくなる。本人の名誉も保たれる。僅かの費用で今日の日本国が抱える多くの課題は解決する。国会の機能も飛躍的に高まるだろう。各省庁も先輩の面倒を見ることから解放され、自由な政策立案に専念できる。君、どう思うかね!」と語りかけられた。

 今改めて故人となられた諸井先生の炯眼を活かせない政治の在り方に大きな問題意識を覚えざるを得ない。

<参考> 諸井虔先生の言葉を紹介したメルマガ


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