「政治活動で手繰り寄せた祖先の肖像画と系譜」

 生まれ故郷に戻り活動をしていると、思わぬ掘り出し物を見つけることがある。長野県北安曇郡池田町は私の祖母の出身地だが、その祖母の実家が今は無くなってしまい、先祖の地でありながら取り付く島がない寂しい思いをしていた。

 ところが、池田町で後援会作りを行う中で、祖母の父であり私にとっては曽祖父である薄井左馬次という人の肖像画をひょんなことから目にする機会に恵まれた。*注

 池田町に在住のやはり薄井という名字を持つ地元の方から、「私の曽祖父にあたる薄井貞一郎が建てたお座敷の一室に掛けてある肖像画が左馬次という人の肖像画で、町の医者であった左馬次氏は池田の村長や県会議員も務めた人だと教えられた記憶があり、父が残した家系図の写しによると左馬次氏の妻は貞一郎の姉か妹で、義理の兄弟になる」とのことであった。

 薄井貞一郎氏は酒造業を始め、後には製糸業にも関わった事業家であるとともに政治にも関心があり、地元出身の代議士であった植原悦二郎氏と交友があり、犬養毅、後藤新平などの政治家もその家に立ち寄ったこともあったとの話も伺った。

 貞一郎氏は明治中期堀之内高見にあった造り酒屋を買い取ったのを皮切りに、大町市で「白馬錦」、池田会染で「晴光桜」の酒造りを始め、会染の酒屋は貞一郎の弟為次が経営し、戦後「大雪渓」が誕生した来歴があるとの話も伺った。

 左馬次曽祖父の家は上手(わで)という屋号であったが、残念ながら家が絶えてしまった。私の子供時代の記憶で、実家が無くなって帰省することが出来ないことを悲しがっていた祖母の姿を思い出した。

 しかし、池田町の後援会作りを進める中で、家は途絶えたものの、その系譜を知る親戚の人に偶然巡り合い、自分たちのルーツを共有し合えるというのも、こうした政治活動に入り込まなければ承知できなかった得難い経験であると感謝申し上げたい気持ちになった。


*薄井左馬次の肖像画リンク
https://www.mutai-shunsuke.jp/activity/1202.html#120204


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