「大災害時に浮かび上がる日本人の特性」

〜震災からの復興の原点〜

 東日本大震災の立ち向かう日本人の姿に海外メディアが称賛の声を上げている。略奪がない、食料配給に整然と並んでいる、被災現場で若者が老人を手助けしている、といった称賛の声である。

 もちろん一部では、人目に付かないところで空き巣が入ったり、被災者を騙っての振込詐欺の様な事案も報道されているが、太宗の日本人の被災時の対応は、倫理的な観点からも称賛に値するものである。

 こうした海外からの指摘は、実は今回の東日本大震災に限らず、阪神・淡路大震災、関東大震災時にも同じようにあった。非常時に、その民族の持つ倫理的な本質が露見するということなのであろうか。

 今から150年以上遡る時点でも、このことを指摘していた英国人がいた。2008年は日英の外交関係樹立150周年であった。その条約締結を行った英国側の代表、エルギン伯爵が書簡の中で、外交関係樹立時点での当時の日本と日本人観察を行っている。

 私がロンドン在任中の当時の日本大使館の西ヶ廣渉総括公使に教えて頂いたその書簡をまとめた書物(letters and journals of James, 8th Earl of Elgin)を紐解くと、興味深くまた嬉しくなるような記述が沢山あった。

 私なりにエルギン伯爵の英文を概訳すると以下の様な視点が記述されている。

・(日本人は)とても清潔な人々である
・丁寧で敬意に満ちている
・異邦人に親切であり、決して親切の対価を受け取ろうとしない
・向学心がとても強い
・宝石や黄金の装飾は法廷にさえ見当たらず、贅沢とか派手さがない
・コミュニティには自助の機能が備わっている
・穏やかな感情がコミュニティに漂っている
・内外ともに平和である
・不足感がない
・階層間での憎しみがない
・日本の社会的道徳的位置づけの高さは風物の美しさと同様に驚かされる
・天皇から平民に至るまで、日本人は法的慣習的な厳格なルールの下に生きている
・私も見張る幕府の役人はいるが、その態度からは煩わしさを感じることはない
・幕府との間で交渉が暗礁に乗り上げても、冗談を交わすことでたちどころに元に戻る

 以上のような感想がこの書簡には書かれている。150年前の日本の精神世界はそのような雰囲気が漂っていたのであろうことは何となく想像がつく。そして、大災害などの非常時には、その精神世界の基底にあるものが浮上してくるという繰り返しなのかもしれない。

 エルギン卿が、150年後の東日本大震災に遭遇した今の日本を見たとしたら日記に何を記すのか興味が沸く。恐らく、「150年間で日本の文明は進歩したが、日本人の本質は変わらない。不易流行という言葉があるが、日本人の本質は150年経過しても不易であったことがとても嬉しい」、とおっしゃるのではないか。

 ところで、エルギン伯爵の日記の中に、「神は、日本人の国を西洋に開くに当たって、我々が日本人に悲惨さと破壊をもたらさないことを許したもうた。(God grant that in opening their country to the West, we may not be bringing upon them misery and ruin.)」という記述がある。日記の全体のトーンからすると、西欧に勝るとも劣らない規律と道徳を備えた日本は、敢えて西欧の世界観を押し付けるのではなく、平和的に開国をもたらしてもよいのである、とでも言っているような視点である。明らかに優越感に満ちたそもそもの発想には馴染めないが、歴史の事実としてはそれなりに受け止めざるを得ない。

 実は、エルギン伯爵は、アヘン戦争の際に、当時の中国の政庁を徹底的に破壊しつ尽くした人物でもある。現在の紫禁城の5倍、バチカンの8倍の広さのあった日本でいえば皇居、英国で言えばウェストミンスターのようなところを徹底破壊した。現在でも中国人はこのことを文化に対する歴史的侮辱として受け止めている。

 ある意味では、エルギン伯爵はその民族の民度により付き合いの仕方を変えたとも言えるかも知れない。

 しかし、当時の日本人はそのようなことは知る由もない。中国がアヘン戦争で受けた惨状を目の当たりにして、同じ運命に陥らないために明治維新まを断行し、瞬く間に先進国の地位を築き上げた。

 今回の歴史的災害も、日本人の本質的資質をもってすれば乗り切ることは容易である。課題は、その日本人の特性の強みのメリットを、今の政治的枠組みが効果的・的確に引き出すことが出来るかということである。海外のマスコミも、震災時の日本人の振る舞いは評価するが、日本政府の危機管理対応については厳しい見方を加えている。


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