「西日本豪雨災害被災地訪問記」

 通常国会閉会後の7月23日から24日にかけて、西日本豪雨災害に見舞われた広島県と岡山県を訪問させて頂きました。広島県では先ず、広島市安芸区矢野東のボランティアセンター、同地区の被災現場の行方不明者捜索現場を訪問しました。38年前に広島県庁勤務時代にお世話になった原時廣氏がボランティアセンターにおられ、温かくお迎え頂きました。全国から駆け付けた消防、警察、自衛隊、国の各省庁のスタッフ、ボランティアの皆様が黙々と動いている姿をしっかりと目に焼き付けさせて頂きました。

 広島県熊野町川角地区の土石流による巨石崩落の現場では、取り除くのも不可能と思わせるような巨石の多さに驚きました。近所の方の話では、危ういと考えられたこの地域で住宅開発をしたことが適切であったのではないかとの指摘も伺いました。坂町の総頭川が膨大な量の流出真沙土により川床上昇している現場では、川が土で埋まり次の降雨による二次災害が懸念されます。広島市と呉市を結ぶ高速道路、鉄路が寸断の現場、坂町小屋浦の被災現場では、復旧に膨大な作業量と時間を要する被害の規模の大きさを実感しました。被災鉄道に関しては、先の通常国会で議員立法により鉄道軌道整備法が改正され、経営全体が黒字経営会社の赤字路線にはこれまで補助金が交付されなかったものを、一定規模の大災害時にあっては補助金が交付できる制度改正がなされており、今回の災害における鉄道復旧に早速適用できる体制が整ったことは、佐藤信秋参議院議員、菅家一郎代議士らともに法案成立に汗をかいたものの一人として感慨深いものを感じました。

 翌朝は、町の領域が広範囲に浸水した倉敷市真備町を訪問しました。ボランティアセンター、避難所を訪問し、被災者の皆様から話を伺いました。体育館に最近設置された空調設備により猛暑は凌げ、段ボールベッドという新しい避難所ツールが役立っていることは確認できたものの、体育館の狭隘な環境は如何ともし難く、被災者の皆様からは早期にプライバシーが保たれた住居への移転を切望する声を伺いました。被災者でもあり災害研究者でもある神原咲子さんからは熱のこもった被災者ケアの要諦をしっかりと伺いました。非常時だからこそ、看護師保健師の資格を持ったまま家庭にいる皆さんの被災者ケアへの参加を促すことが必要で、被災者所在情報も不可欠だが、データが活用できないことがネックであり、個人情報保護法の拡大解釈を正して欲しいとの指摘をしっかりと承りました。 倉敷市役所も訪問し生水哲男副市長に、松本駅前で募金活動により集めた義援金をお渡し、被災者との意見交換の結果も報告させて頂きました。被災者の居住環境を確保するために、公営住宅、公務員住宅、民間借り上げ住宅、仮設住宅の確保などのほかに、トレーラーハウスが全国から集結し活用できるので多様な選択肢を活用してほしい旨を伝えました。

 今後想定される広範囲な広域災害を想定した場合に、予めその事態を想定した対応準備を前広に行っておく必要を改めて感じます。災害が起きる前から時系列で何が起こり、何をすべきかについては本来予め分かっているのです。今回の災害においても、ボランティアの需給調整などは非常にスムースに行われたり、被災自治体に他地域の公務員が派遣され災害対応機能強化に役立っている改善がある一方で、被災者の迅速な住居確保などの面においては過去の災害教訓を適切に共有できず、役所の窓口で過去あったと同じ制度適用の渋滞状況が生じている感を否めない実態も伺いました。私も、阪神大震災、東日本大震災、長野県神城断層地震、北海道・岩手県台風被害、熊本地震、九州豪雨災害、西日本豪雨災害などの災害現場を訪問し、消防庁防災課長、内閣府防災担当政務官として仕事としても災害対応に携わって参りましたが、これから迎え撃たなければならない巨大災害に備えた災害対応の強靭化に向けて国会議員の立場で更に努力してまいりたいと思います。

 ところで、24日の夕方、岡山から松本に戻り、深志神社の夏の例大祭に参加しましたが、恒例の催事が恙無く執り行われる幸せを、被災地訪問の後だからこそ特に強く感じさせて頂きました。


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