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むたい俊介メールマガジン第272号 2018.11.05

地域の声を国政につなげ
地域の声で国政を変える

〜むたい俊介メールマガジン〜

「増田甲子七先生生誕120年記念にあたって」


 今年の10月4日は増田甲子七先生の生誕120年目の誕生日でした。関川筑北村長からお祝いをやるので出席し挨拶をして欲しいと仰せつかり、私ごときがとは思いましたが、私も郷土の誉れ高い増田先生の選挙区を引き継ぐものとして光栄な機会と考え準備させて頂きました。先生の回顧録を読ませて頂くなど改めて増田先生のご功績を調べたところ、改めて先生の政治への思いの強さ、そのご功績の大きさに圧倒される思いがしました。


 先生は明治31年10月に東筑摩郡坂北村、現在の筑北村にお生まれになりました。勉強が非常に出来、松本中学、今の松本深志高校に入学、しかし家業を継いでほしいとの親の希望と学業に対する思いが相克する中で、第8高等学校、早稲田大学専門部、京都大学法学部と異色の高等教育の遍歴を経られ、京都大学での余りの成績のよさに高等文官試験を経ずに内務省に採用され、採用後高等文官試験に合格し、内務省での経験を積まれました。持ち前の正義感、突き詰めてものを考える力、そして行動力を発揮され、様々な革新的で目覚ましい業績を残されました。本省勤務時に経験された関東大震災時の行動、2.26事件の折の当事者意識に満ちた行動は、戒厳令下で矢継ぎ早に発布した勅令起案、満州統治に関する対満事務局課長としての筋の通った動きなどに見て取れます。


 2.26事件では時の軍部の事態収拾に向けた煮え切らない対応に憤慨しつつ生々しい経験を積まれましたが、その後、突如胃潰瘍を患い、戦前戦中、何と10年に及ぶ働き盛りの闘病生活の間の切歯扼腕の時代は先生にとって試練の時代でした。しかし何が幸いするかわかりません。戦後多くの高級官僚が戦争責任を問われて公職追放になる中で、増田先生は蘇りました。空襲で被災し焼夷弾の衝撃の中を逃げるため、寝た切りであったはずの増田先生は奇跡的に自分で立ち上がり必死で逃げたようです。それが切っ掛けとなり奇跡的に病気から回復されました。それとともに内務省に復帰し、当時任命制のもとにあった福島県知事、北海道知事を務められました。食料供出、石炭スト解決に当たっての増田知事の手腕を買われ、発足したばかりの第一次吉田内閣の下で代議士でもないのに運輸大臣を命じられました。そして3か月後の昭和22年4月の総選挙で長野4区から立候補し、見事当選されました。その折の選挙の大変さは、先生の回顧録にも綴られている通りです。「間もなく増田甲子七が演説を始めます。声は悪いし演説は下手で、万が一漬物が腐るようなことがあれば申し訳ないから、漬物樽の蓋はしっかり閉めておいてください」という逆説的に有権者の好奇心を誘うような前触れを行った結果、街頭演説に多くの有権者を集めたとの述懐もありました。


 仕事ぶりを通じ、吉田茂総理に知遇を得られた増田先生は、自由党の政務調査会長、第二次吉田内閣では当選一期目で労働大臣、その後、内閣官房長官、建設大臣、北海道開発庁長官、自由党幹事長などを歴任されました。吉田茂政権最盛期にずっと閣僚、党幹部を務めたことは今では考えられないことですが、公職追放解除で大物政治家が政界に復帰してからは様相が変わってきたようです。一時期は、吉田総理の後は増田総理だとの前提で話が進んだ時期もあったようでしたが、政界の動きというものはどう変わるのかわかりません。その後、佐藤栄作内閣で防衛庁長官を務めるということもありましたが、増田先生は、吉田内閣の退陣と共にご自身の政治生命は終わったとの気持ちを強く懐き続けてきたと記されています。


 その吉田先生は昭和54年に引退されるまで12回の選挙を戦い10回の当選回数を数えられました。私はその増田先生の引退の翌年に増田先生が入省された内務省の流れをくむ自治省、今の総務省に入省しました。そして奇しくも増田先生と同じ選挙区から立候補し代議士となっています。私の時代は増田先生の時代と異なり、当選一期で大臣を歴任するということは望むべくもありません。しかし、増田先生の行政官、政治家としての軌跡を紐解くときに、私の立場で増田先生がおられたらどのように行動したのであろうかと意識せざるを得ません。増田先生は、敗戦直後の北海道知事の時代に、かぼちゃと馬鈴薯を食し私生活を乗り切ったと述べられています。知事官舎に共産党地区委員長を先頭に退蔵物資摘発の名目で家探しに入られたところ、コメも味噌もなく、かえって共産党が同情したという逸話も伝わっています。そういう庶民性、民と共に歩む気持ち、正義感に溢れるという信州人特有の性格を増田先生はお持ちになっておられ、私も同じ思いで政治活動をしているのだと自分自身に納得させています。


 こんな素晴らしい郷土の誉れをこの選挙区は2度落選させています。昭和30年と47年の選挙です。昭和47年の選挙で増田先生が落選されたことは、当時松本経由で富山に抜ける新幹線構想が、上越新幹線構想に負けるという結果がもたらされたことと重なり、政治基盤の強さが地元にことをなさしめるか否かを決めていくという現実を見せつけているように思われます。


 郷土に貢献するということは代議士にとって大変重要なことです。増田先生も様々な案件で郷土に貢献されてこられました。私も負けないように頑張りたいと思い、今回、増田先生の郷里の筑北村に長野道スマートインターを誘致すべく頑張りました。先生の生誕120周年を記念する今年、先生の生家の近くに筑北スマートインターが設置される指示が国土交通省から下されました。戦後復興という遮二無二突き進んだ時代から成熟時代に時代は変わりましたが、それぞれの時代に最もふさわしい形で政治家が役割を果たす課題は尽きません。


 本来であれば、私は、高校、地元、役所、代議士という幾重にも重なる縁のある増田先生にしっかりとお会いしお話を聞いておくべきでした。増田先生は、これぞと思う方々と膝を割って話をしてこられたと記されておられます。自治省勤務の若い時分に、新聞で増田先生が火事でお亡くなりになったとの報に接したときにはその悲劇にショックを受けましたが、今の立場になってみて、ますます生前にご謦咳に接することができなかったことが痛恨の極みです。


 しかし、こういう形で、増田先生の後を受けた自民党代議士として、先生に語り掛けさせていただけることにより、私にとっては泉下の先生と通じ合えていると考え、大変な誉れと思っております。


 どうか、これからも天国から日本国と郷土の行方を御見守り下さい。我々も増田先生の目から見て恥ずかしくない国造り、郷土づくりに励みたいとお誓い申し上げ、先生の生誕120周年の言葉に代えさせていただきます。


自民党長野県第二選挙区支部長
衆議院議員 務台俊介


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