むたい俊介
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長野2区 自民党

【メッセージ】
「明治神宮の森を造成した先人の炯眼に学ぶ」
〜故郷に平地の森造成の夢想〜

 私は、代々木の居所から永田町の国会に通うのに、明治神宮に詣でつつ原宿まで歩き、そこで地下鉄千代田線に乗り国会議事堂で下車する約40分間のドアツードアの通勤スタイルが気に入っている。歩く時間はおよそ25分である。

 気に入っている理由は、明治神宮境内が鬱蒼とした森であり、静謐な木立の中をただひたすら歩くことにより、気分が大変爽快になるからである。早朝6時45分から7時15分くらいの間に、神宮境内を歩くことが多いが、顔馴染みの方々とは、「おはようございます」と気持ちの良い挨拶が交せるようにもなっている。日常生活の中で蓄積しかねない、せわしく鬱々とした気持ちが、朝の20分の「森林浴」で浄化、デットクスされる。頭がすっきりとした状態で、党の早朝の部会などに出席すると良いアイデアが生まれたりもする。

 さて、この鬱蒼とした明治神宮であるが、よく知られているように、この神宮の森は、人工的に作られた森である。明治天皇と昭憲皇太后を御祭神とする神宮は、大正9年に鎮座祭が行われたもので、境内地は内苑と外苑に分かれ、内苑には日本各地や朝鮮半島・台湾からの膨大な献木が計画的に植えられた歴史がある。

 神宮の森は、人工林が意図的に自然林化されたものとして世界的に注目されているとも聞く。神宮が設営された代々木御料地付近は、元々は森がない荒地であり、神社設営のためには工林を作ることが必要であり、当時、造園に関する一流の学者らが集められた。

 当時、現在の生態学でいう植生遷移という概念が構想され、林苑計画に応用されたと伝えられている。植生遷移とは、植物がその土地で育成することに伴い、長い時間の中で環境生成作用によりその場所の環境が変化して行く現象であり、当初、多様な樹種を多層に植栽することで、100年後には広葉樹中心の極相林に到達し、手入れや施肥などが皆無で永遠の森が形成されることを予測し実行されたのだ。

 私が、毎朝、まるで原始の森の中を歩いているかのような錯覚に陥る幸運は、大正期の先人たちの100年後を見越した先駆的な取り組みの結果なのである。

 さて、東京から松本市・安曇野市に戻る都度、いつも何か足りないなあと感じてきたことがあったが、その最大のものの一つに、この地域に広大な平地林が存在しないことではないかと思うようになっている。この風光明媚な盆地に画龍点晴を欠くものがあるとしたら、それは平地に風格のある広大な森が無いことではないか、と。

 穂高神社などの神社の境内には、それなりの神社林があるが、鬱蒼とした明治神宮の森とは比べようもない。安曇野には屋敷林という他の地域にはあまり見られない誇るべき景観があるが、それとて今や点在していると言わざるを得ない現状に陥っている。

 私の夢は、松本平、安曇野に、100年後の姿を見据えて、「安曇野の森」ともいうべき広大な平地林を復活できないかということである。この地域には、国営アルプスあづみの公園という国の施設があるが、これはアルプス山麓の森に手を入れて造成整備したものである。長い時間をかけ平地に森を形成したものではない。

 私たちは、このところ目先のことにのみエネルギーを注入し過ぎてきたのではないだろうか。明治神宮の森を毎朝歩くなかで、100年前の先人の将来を見据えた気分を共有出来てきたような不思議な思いに浸りつつある。

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