むたい俊介
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長野2区 自民党

【メッセージ】
「東日本大震災と広域支援の課題」

 東日本大震災発災後8カ月を経過しようとする2011年11月5日に、「東日本大震災と広域支援の課題」について神奈川大学主催の講演会を開催した。私が全体のファシリテーターを務め、政府・自治体の被災地支援に直接携わった5名の実務家から被災地支援の反省と課題について伺う機会を得た。

 多くの側面から極めて様々な分析が行われつつある今回の巨大災害の特徴として、地域の自治体機能が不全になるほどの災害、中央政府の政治機能が混乱している真っ只中の大災害、災害情報が全世界で同時に共有された災害、地震、津波、原子力事故に加え政治災害とも形容される複合災害、ネットワークでつながる全世界が広範にその影響を受けた災害、阪神大震災のノウハウの蓄積が生かされた災害、過去のノウハウが蓄積された自治体の応援がスムース、といった点が指摘される。もちろんその人の立場によってさらに多くの特徴が挙げられよう。

 今回の講演会は、その中でも広域支援を取り上げ、特に組織的・体系だった自治体の広域支援についてその実態と課題を浮かび上がらせようという趣旨で行われた。

 自治体支援の迅速さの例を挙げれば、関西広域連合は発災後2日で被災地支援の緊急声明を出し、トップダウンの電光石火の意思決定の下、カウンターパート方式による被災地支援を決めた。

 自治体応援の臨機応変の創意工夫も目立ち、例えば被災自治体の対策本部にオブザーバーとして入り込み、そこで決まったことをテキパキと派遣元に伝える現場対応の知恵も編み出した。体系的・組織的な対応も素晴らしく、被災自治体のニーズに応じて専門職を切れ目なく派遣している。

 一方で、非常時には頼りになるべき政府は、大災害時の最中に政治主導が空回りし、災害対応のノウハウを蓄積してきた霞が関を敵視して使いこなせない実態を見るにつけ、自治体のトップは組織を上手く動かし、相互に連携し、見事な対応を行ったものと評価される。

 今回の講演会では、実際に被災地に入った自治体職員、政府の皆様に、それぞれの立場で体験した被災地広域支援の実際を語って頂いたが、そこから多くの経験と課題が浮かび上がった。

 先ず、内閣官房安全保障・危機管理室の森中高史氏の講演を伺った。森中氏は、政府と自治体を通じた広域応援の全体像を語った。その内容は概ね以下の通りであった。

 「阪神大震災時と東日本大震災時の政府の対応比較によれば、実はこの16年で政府の初動対応は格段に進歩した。そして今回は史上最大の全国的広域応援が実施された。全国の消防は国の指示により出動。指示による出動経費は国が負担するスキームが用意されている。自衛隊は最大10.7万人規模の派遣。予備自衛官、即応予備自衛官の招集も行われた。広域医療搬送計画を実動したが、意外に少ない搬送実績であった。総務省が全国市長会、町村会と連携して被災地自治体への市町村職員の派遣スキームを実施し、1300名規模の派遣が行われている。関西広域連合のカウンターパート方式の支援である「対口支援」は効果的。普段からの関係を重視した支援も数多くある。自治体からは「対口支援」の制度化の要請があり。ボランティアの規模は10月時点で80万人。ボランティア需要も時間と伴に変わってきている。」

 外務省経済協力局の松田健司氏の講演は、政府の職員として1カ月の間被災自治体に支援に入った経験に基づくものであった。その内容は概ね以下の通りであった。

 「宮城県庁の勤務経験を買われ、被災地支援に宮城県に入る。宮城県庁市町村課に在籍しながら沿岸部市町村の支援。国から来る膨大な照会も処理。被災後の宮城県の沿岸部市町を訪ね歩き、その現状・実態を把握。働いている職員の現状も把握。沿岸部自治体が今何に困っているのかを歩いて把握する作業。得た情報をデータベース化し、情報を蓄積して市町にもフィードバック。その繰り返しを行う。 被災地の自治体の大きなストレスを職員派遣応援により支援する必要性。派遣命令を受けたときに、国からの指示事項は無かった。「一人の人間としての目線で何でもいいから情報を送り対処せよ」とのこと。国から来ている職員の個人的ネットワークに頼ってくる側面の役割も。被災自治体の情報連絡手段の制約が大きい中で、現地の錯綜した情報を整理する役割も。被災時に生じる膨大な業務を前に、どの分野に応援要員を充てるのかを考える機会となった。業務、課題、ニーズの変化をマトリックスで整理して応援需要を考えた。いざという時に強みを発揮するためには、常日頃の付き合い、人的ネットワークを保っておくことが必要。予め広域派遣の仕組みをシミュレーションをしておく必要がある。」

 川崎市人事課の鹿島智係長の講演は、全国市長会などからの要請を受けて被災地支援を行った経験談であった。その内容は概ね以下の通りであった。

 「被災地の支援要望をまとめた市長会からの要請を受け職員派遣。様々なルートでの派遣がある中で、当初川崎市は全国市長会のルートでの派遣を決めた。その後、改めて神奈川県庁からの依頼もあり、県庁ルート、市長会ルートのダブルルートで派遣。川崎市は短期、長期の多様な分野の人材を派遣。避難所運営の派遣は継続的に行ったが、その後避難所運営支援はボランティア系支援に移行。川崎市は行政事務支援を行った。避難所では民生委員の活動が目立っていた。」

 川崎市消防局山本久夫氏の講演は、緊急消防援助隊の出動の内容で、過酷な環境の中の作業の実際と浮かび上がった課題を語るものであった。その内容は概ね以下の通りであった。

 「東日本大震災発生時、川崎市も震度5の揺れを記録した。そのために川崎市自身の被害の確認の必要もあり、被災地に入るのが若干遅れた。結果としては、川崎市内自体の被災状況を把握しながら東日本に派遣という実態。福島原発派遣を含め、75隊、254人が被災地に入る。川崎消防の5人に1人が派遣された計算になる。緊急消防援助隊の制度の機能が十二分に発揮された。大災害時の燃料補給体制の構築が大きな課題として浮かび上がった。浸水地域で活動できる装備が不足していた。消防活動の現場では、パソコン入力では皆が共有できず。模造紙により情報の一覧性を持たせた。浸水地域で竹竿を使用しての行方不明者の捜索。緊急消防援助隊が仙台に入った時に、住民の方が手を合せて拝んでくれた。それを見て頑張らねば、と心に誓った。川崎消防の宿営地は自己完結的な活動に心がけ、全て自前の活動。テント、食事、燃料を自己調達。緊急消防援助隊にとって「お湯」が貴重だった。ドロドロになった隊員が顔を洗うお湯を皆で分け合った。福島原発第3号炉への冷却放水作業にも参加。未経験の総力戦であった。先遣隊、放水開始隊、放水停止隊、特殊災害対応隊による分業体制で原発放水に取り組んだ。福島原発対応時の消防の対放射線防護の対応に気を使った。隊員の安全祈願で川崎大師のお守りを持ってきてくれた市民もいた。」

 高知県黒潮町役場の友永公生氏は、将来において南海地震の影響を受けうる高知県の町の立場に立った応援の実際と課題を語って頂いた。その内容は概ね以下の通りであった。

 「気仙沼市への広域支援。高知県黒潮町と気仙沼市とはカツオ漁による繋がりがあり、親戚も多いという特別の繋がりがある。友永氏は、気仙沼市に物資を持参。自己完結型の支援に心がけた。役場保有の衛星携帯電話を持ち込み、その衛星携帯電話とパソコンをケーブルでつないでデータ通信を行ったところ、大変重宝した。しかし、気仙沼市役所内のミーティングの際に、部外者がいるという声が上がり、会合から締め出されることもあった。制度上の根拠なき応援の限界を感じ、。踏み込んだ支援ができないもどかしさも覚えた。広域応援の制度上の根拠が欲しい。」

 5名の実務者の講演は、それぞれ被災地に実際に入った経験を踏まえた極めて具体的で説得力あるものであった。現場にこそ生きた知恵があるという言葉の意味を感じさせた講演であり、その内容は、「むたい俊介アワー」というustreamで放映し、後日誰もがアクセスできる状態になっている。経験を多くの人が共有し、継承していくツールも用意されているメリットを我々は防災・危機管理の側面にも生かさなければならない。

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