むたい俊介
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長野2区 自民党

【メッセージ】
「市場原理に基づくロンドン地下鉄の民間運営の破綻」

 ロンドン生活で感じたことは、地下鉄、バスなどの公共交通機関のプレゼンスが非常に大きいことであった。ロンドンは赤い2階建てバスが有名であるが、通勤時間にはバスがロンドンの街路を埋めていると言っても良いほど公共交通機関への依存度が高い。

 ロンドンの交通当局も、市民の公共交通機関利用を促進するために、混雑賦課金(Congestion Charging)と呼ばれる制度を導入し、ロンドン中心街での自家用車の利用を厳しく抑制している。具体的には、ロンドン中心部の一定地域を料金徴収区域として設定し、祝祭日を除く月曜日から金曜日までの午前7時から午後6時までに同区域に入った自動車及び駐車車両の運転手は、8ポンドを支払わなければならないという内容である。8ポンドは日本円に換算すると2000円であり、この高額の賦課金が確実にロンドン中心部での自家用車の利用を抑制している。なお、混雑賦課金上は、車両の種類による料金の格差はなく、電気自動車や代替燃料車、二輪車、タクシー、バス、緊急自動車等及び身体に障害のある運転手は、料金の支払いが免除される。また、同区域内の居住者に対しては、料金の90%が軽減される。

 この施策によりロンドン中心部における交通混雑は目立って減ったとされ、更に混雑賦課金収入は公共交通網の整備に充てられ、副次的な効果としての騒音、大気汚染及び交通事故の減少等も実現している。

 こうした規制による交通制御の一方で、公共交通分野においてはこのところ自由市場原理に基づいた政策が導入されてきている。まず、バスの運行全般に関しては、「1985年交通法(Transport Act 1985)」は、バス運行サービスが、自由市場(競争)原理に基づいて供給されるべきであり、地方自治体の役割は、包括的なネットワークの計画ではなく、市場が供給し得ない社会的に必要なサービスを確保することとされた。この背景には財政的な補助を行う前に、競争原理によるコスト削減を達成しようという目論見がある。

この法律の下で、広く競争を保証するために1986年10月にバスサービスに関する規制が緩和され、バス運行会社は公共交通運行免許を交通委員会(TrafficCommissioner)から取得することにより路線バスを走らせることができるようになった。交通委員会は、大臣から指名された常任委員長とその地域の自治体から推薦された委員から構成される組織である。既存運行会社は新規運行会社の参入を妨げることは不可能となった。運行ルートの登録制により、当局は採算の合わないルートを把握することが可能となり、補助すべき路線の判断が容易になった。ルートは、入札に付される。応札会社のルートの登録後は、会社が当局にサービスの変更・廃止について通知しなければならないとされている。当局は提供されるサービスが適正でない場合、契約終結を含めた措置をとることができることとされている。

 この結果、かつての公営バス企業は、管理者ごと民営化され、既存の民間会社との競争にさらされることとなり、民間会社に取って代わられたものも多い。

 ところが、ロンドンの場合は他の地域とは状況が少々異なっている。ロンドンにおける地下鉄及びバスは、ロンドン交通局(Transport for London:TfL)が所管している。ロンドンの交通サービスは、最初は民間企業の運営であったが、1933年に公的団体であるロンドン旅客交通委員会(London Passenger Transport Board)による経営となり、その後1969年に大ロンドン市(Greater London Council:GLC)に移管された。しかしサッチャー政権はGLCを廃止したため、1984年に制定された「1984年ロンドン地域交通法(London Regional Transport Act 1984)」により、ロンドンの地下鉄及びバスの運営業務はロンドン地域交通公団(London Regional Transport :LRT)という組織に移管され、国の監督下に置かれることとなった。ロンドン地域交通公団は、quangoと呼ばれる特殊法人であり、公団の理事会構成員は大臣から任命され、その監督下で業務が行われていた。但し、LRTの下には各事業部門ごとに設立された子会社が存在し、例えば地下鉄の場合は、ロンドン地下鉄会社(London UnderGround Limited)によりサービスが提供され、同公団自体はこれを管理する立場にあった。しかし、ブレア労働党政権の下、グレーター・ロンドン・オーソリティー(Greater London Authority:GLA)の設立に伴い、LRTは2000年7月から再びGLAの指揮監督下にあるTfLに移管され、今日に至っている。

 さて、そのTfLの所管であるロンドンの地下鉄に関しては、過去の慢性的な交通インフラ整備への投資不足に起因する故障や遅延、極端な混雑がかねてから大きな問題となっており、公共交通機関に対する信頼の低下、自動車利用の増大につながっているとの指摘があった。

 この問題への対応策として、政府は、1997年に「運営は従来どおり公共機関が行うが、施設の建設、維持については、パブリック・プライベート・パートナーシップ(Public Private Partnership : PPP)のもと、民間主体で行う」という新しい経営形態を提示した。これを主唱したのが前財務大臣、現在の首相であるゴードン・ブラウンであった。ゴードン・ブラウンは、最初の15年間に、政府補助金、地下鉄利用料(ロンドン地下鉄会社の収入)、民間資金を併せて少なくとも130億ポンドの投資が必要とされたのに対して、これを賄うのに民間資金を活用しようと考えたのである。

 この政府の方針に対し、ケン・リビングストン・ロンドン市長(当時)は、安全性の観点及び資産管理と運営は一体的に公共部門が行うべきとの考え方から、反対の立場を示し、政府の地下鉄計画の法的有効性について法廷に提訴する事態にまで発展した経緯がある。(2001年7月30日に、最終的な決定権は政府にあるとの理由で、高等法院は、GLAの訴えを却下している。)

 ケン・リビングストンの懸念の背景には、サッチャー保守党政権下で分割民営化された旧英国鉄道において、インフラ整備を担当する会社と車両運行会社を分離する方式で民営化が行われたが、各路線で重大事故やサービス遅延等が頻発した歴史的事実を意識したものである。

 これに対し、政府は、地下鉄の運行や駅構内の管理については、公共部門であるロンドン地下鉄会社が引き続き担当すること、各路線が民間企業に売却される訳ではなく鉄道網全域の安全に対する責任は引き続き公共部門が負うことを強調し、懸念を押し切った。なお、バス業務については、民営化され、民間会社との契約により、運行されている。

 さて、問題はこのロンドン地下鉄へのPPP導入の顛末はどのようなものであるか、である。PPP導入によりロンドン地下鉄は、向こう30年に亘り、1つの公共セクターの運営会社(TfLの一部としての「ロンドン地下鉄」)と3つのプライベートセクターの施設建設・維持会社(infracosと呼ばれる)の4組織に分割されることとなった。具体的には、この3つのinfracosはロンドン地下鉄の資産である車両、線路、トンネル、信号機、駅舎を30年間に亘ってプライバタイズ(privatise)し、ロンドン地下鉄はこのPPP契約を管理するとともに地下鉄運転手と駅員を提供するという分割管理形態である。

 3つのinfracosは地下鉄の3系統毎に分かれている。(1)Circle、Districtなど比較的地下の浅い部分を通るSSL(Sub-Surface Lines)、(2)Bakerloo、Central、Victoriaなどの路線の頭文字をとった中・深地下を通るBCV、(3)さらに比較的新しく地下の深いところを通るJubilee、Northern、Piccadillyの各ラインの頭文字をとったJNPがその3系統であり、SSLとBCVがMETRONETに、JNPがTUBE LINESに移管された。それぞれのinfracosとも民間会社数社の出資した合弁会社(consortium)である。このMETRONETとTUBE LINEがロンドン地下鉄ネットワークへの投資に向けた資金造成を行い、地下鉄の近代化と機能改善に向けた工事と管理の責任を有することになっている。新規車両の投入や駅舎の改装の時期については、PPP契約書(2003年)に規定され、規定された内容どおりに地下鉄整備が行われているかを監視することがTfLの役割となっている。

 このロンドン地下鉄のPPPに関しては、先にロンドン市長が懸念を表明したと記したが、2004年の時点で、National Audit Office(政府の監査機関)も警鐘を鳴らしていた。このPPPの価格設定が適正であるかについては限定的な確証しか得られないこと、そして最終的な価格がどの程度に膨らむか不確定要素があることを指摘した。契約額の大きさ、新規投資の多岐に亘る明細、そして地下鉄の資産状態に関して情報が不十分であることに起因するPPP契約の複雑さのために、途中で修正が必要になると指摘したのである。

 実は、その懸念を裏書するような事態が2007年の夏に発生した。Infracosのうちの1つであるMETRONETが破綻状態になったのである。METRONETが考えていた以上に必要な投資額が膨らみ資金繰りに窮したことが破綻の原因であるとされているが、TfLは直ちに地下鉄の運用に支障がない対策を講じている。

 一方で、METRONETに雇用されている保守管理要員の雇用確保を求めて、労働組合は2007年9月初旬に地下鉄ストを打った。ウィークデイの一日に300万人を運ぶロンドン地下鉄のストは、ロンドンの交通をマヒ状態に陥れた。地下鉄から溢れた通勤客はバスを待ったが、超満員のバスにはなかなか乗車できず、ロンドンへの通勤者は忍耐を強いられた。筆者もチェルシーの宿舎からホワイトホールの職場に通うのに、徒歩とバスの乗り継ぎで凌いだ。地下鉄から溢れた乗客が道路に出てきたことにより、ロンドン市内が一際混雑して見えたのは決して目の錯覚ではなかった。

 しかし、このストに対して、大きな批判の声は聞こえないように感じられた。元々スト慣れしている英国人の特性?という要素に加え、ストにより訴えようとする組合の声は一定の合理性があるという同情が市民の間に共感を呼んでいるようにも思われた。

 公共部門に関わる政策のあり方に関し鋭い評論を行っているある雑誌(「PUBLIC」)の評論は、「new public managementの手法が基盤整備の分野に馴染むのか」、「値段が安いか品質が高いか、あるいは双方の理由に基づき外部の機関にサービス提供を委ねてよいものなのか」、「コントラクトアウトにより情報の非対称性が生じ、TfL内部に高度な知識を持つ専門家が確保できない場合には、契約のモニター自体が難しくなる可能性がある」、「それによりコストアップの要因になりかねない」、「民間会社自体が買収の対象となりうる中で、何十年にも亘る契約が果たして継続可能なのか」などの指摘を行っている。

 では、METRONETの破綻で公共交通の基盤整備の手法としてPPP自体が否定されたのかというと、話はそんなに簡単ではない。Infracosのもう1つの会社であるTube Linesは、PPP契約書にある仕事を約束の期限どおりに、また予算の範囲内でこなしているのである。

 METRONETの破綻は公共交通基盤整備の面での民間手法の適格性に一石を投じたことは事実であり、公共交通の提供の手法に関する生の実例としてわが国でも参考にしうるものである。
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